詩人から学ぶリードアラウドの心

わたし自身が朗読のレッスンを受けていた頃、谷川俊太郎さんの詩で随分と練習した。
それまで読書はかなりしてきたほうだと思っていたが、詩を本格的に朗読したのは初めてだった。
詩を、それも谷川さんの詩を朗読して気づいた。
これまでまったく、自分が詩をわかっていなかったことを。

今朝の新聞で、谷川さんがある盲学校で高校生に、音に「みみをすます」授業をしたこと、その生徒の感想などが報告されていた。

「詩は音が大切と知り驚いた」
「固くなった体と心をほぐしてくれる。道具以上の存在で、意味を超えた働きがあるんだ」と生徒。

また記者も、
「生徒たちは黙って聴き入る。想像力がかきたてられ、心がふわっと温かくなり、広がっていくのが、背中から伝わる」。
谷川さんも
「言葉の音楽的性質を利用したのが詩なんだよね」と語る。

そしてこんな興味深い生徒の発言も。
「言葉は違っても笑い声は一緒。面白いね」
「英語の詩ってきれい」

英語がまだほとんどわからない日本の子にも、英語絵本を「面白い」と思ってもらおうと始めたリードアラウド。
これには、絵本自体に「詩」といえるほどの芸術性があることと、指導者の朗読がよいことが重要だと、この記事を読んで再確認した。

読み手や聞き手の想像力をかきたてる本を、そして想像力をかきたてる朗読をするなら、いくら英語がわからなくとも、子どもは耳を澄まして聞くことで、内容を理解できるはず。

感動を削ぐ野暮な逐語訳は追放し、解説は必要最小限にとどめたい。
リードアラウド指導者は黒子として、生徒の心と絵本を直結させることに心を砕き、朗読・指導の芸を磨く。

そして、絵本が英語で書かれていれば必然的に、生徒の心と英語も直結させることになる。

こうしてみると、リードアラウドが目指していることは、英語だけじゃないなあと思う。
目的が、二段構えだ。
頂きに、「豊かな心」というものがあり、その前に「英語力」という届きやすいもうひとつの頂きがある。
頂きを目指す伴走者として、さあ、今日も研鑽!

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