英語の小さな問題について〜キッズブックス英語スクール

英語の絵本を読んでいて、時々ぶつかる「英語に関わる小さな問題」がある。

最近では、1. Koalaの赤ちゃん問題。

「なぜbaby Koalaと言わないの?」➡️ 有袋類(オーストラリアに固有の哺乳類)の「赤ちゃん」は、姿がたとえ見えても、まだお母さんの「袋」から出て生きていけない状態が続くので、その時期の子どものことを特別にjoeyと呼ぶ。koalaのほか、kangaroo、opossum、moonbatの赤ちゃんもjoey。

 

2. カメ問題。

「カメは全部、turtleというのか?」➡️ 総称はturtleですが、主にミズガメのこと。水かきがあります。水に入らないリクガメはtortoiseです。

 

3. アルマジロ問題。

『A Rock from the Sky』に登場する動物、表紙では右に立っているのは、armadilloか、mole(モグラ)か。➡️ not quite armadillo nor mole.  アルマジロにしては「鎧」が付いているのが腹側で、実際と異なる。(アルマジロの鎧は背中側)だが、顔つきや立ち姿は似ている。生態もそれに近い。

対してmoleは、前脚が掘るのに適応して大きく、後脚が小さいはず。生態も土中なので、本ストーリーのように戸外で活発に活動しない。

 

以上、ささいな問題でした。

 

自分を”mute”する子どもたち〜キッズブックス英語スクール

試練だった。

要望あってオンラインで受講者の「顔出しナシ」、それから自主的mute(わたしのマイクはオンだが、受講者のはオフ)、という変則レッスンがあった。

予定していた絵本はこちら。

 

レッスン開始早々、一人相撲を取っているような感覚に、どうしたものかと戸惑った。反応が見えないだけでなく、聞こえもしない!

 

が、しかし。

「メッセージ(チャット)」という機能があった!

 

早速、「メッセージで返事を送れる?」と聞くと「うん」という返信。

何回かやりとりして、なんだか感心した。

 

口で話すように、この小学生受講生はチャットで自由に話せるのだ。

「わかんない」とか「たぶん」とか。

英語で聞けば「yes」も「no」も、チャットで自然な口語体で返ってくる。

 

なぜか声を聞かせてくれないが、片道「筆談」は自由にできる。

 

ということで、思い浮かべたのが、支援員をしている小学校の生徒のこと。

担当している8クラスに、声を出さない子、自主muteしている生徒がちらほらいる。

わたしにだけ声を出さないのかも知れないが、この子たちももしかしたら、チャットなら多弁だったりするのかも?

 

さて前述のmute受講生だが、レッスン最後の方で、わたしも思い切って「シャドーイング」をすることにした。

その方法を説明し、あまり期待せずに読み出したところ、なんと!

 

可愛らしい、それも達者な英語が後を追って聞こえてくるではないか。

 

この日は、ちょっと心のwarm-upに時間のかかる人もいるということ、またそれが、もしかしたら「チャット」でほぐれるのかも、ということを学んだ。

わたしの貴重なレッスンになった。

 

 

深い声、深い心情が英語で出ない?!〜大人セミナー@キッズブックス英語スクール

 

英語絵本の朗読でやり直す英語、と称した「大人英語セミナー」を開いている。プライベートクラスと小グループクラス。

英語絵本の朗読を磨きながら、reading comprehensionも深めるというのが、レッスンの柱だが、ここで最近、興味深く思っていることがある。

 

学び始めて初期の頃にみなさんが「普通」に読むと、声が浅いことだ。音楽で言えば、使う音程の幅が狭い。

 

不思議とわがスクールのみなさんは、「普通」に読むだけでも、一般的に言って「英語が上手」なレベルだ。

しかし、リードアラウドで声の表現に関わってきたわたしの耳には、その読みはどうも情緒が薄いというか、感情が浅い感じがしてならない。

 

本からは、作者の万感を込めた「声」または、作者が意を託したナレーターの「声」が文字になって、代理人としての読み手を待っているのに、その読み手の声はしばしば「薄情」に聞こえたりする。

 

これは別に読むみなさん個人が薄情だというわけではなく、表現の未熟さがちょうど薄情な人の情の薄い表現に似ているだけなのだが。

 

今、あるクラスで、『Madeline』を取り上げている。

絵本は、100パーセント声に出して読む、読んで聞かせることを前提にしているだろう。

そこで、それぞれの絵本にはそれぞれの「声」があって、そこに個性を持った読み手のキャラクターがでてくる。

 

やりやすいのは今読もうとしている自分が読み手。自由に自分の感情をだせばいい。我が子に読んでやろうという親なら、これでいい。

ただ、レッスンでは芸、またはエンターテイメントとして力をつけるため、ひとつ難しい課題に挑戦。

「だれの声、どんな人?」とキャラクター造型を考えてもらう。

 

例えば『Madeline』だったら、語りはこの主人公の少女、Madelineをよく知っている人で、Madelineはお転婆すぎるところもあるけれど、その勇敢な行動を賞賛し、愛してやまない人、が語っているように聞こえる。

語り口のここかしこに、紳士や淑女の感じも漂う。

Madelineのことをヒヤヒヤしながら、さすがだと思ったり、なんて可愛い子と抱きしめずにいられない愛を感じる。

 

例えばだが、本からこのような声が聞こえてきたら、わたしたち語り手としては、情景を思い浮かべ、自分をその人になぞらえて、その人としての感情を湧かせる。すると、感情の起伏も自然にはっきり出てきて、それに伴って声にも幅がでてくる。

 

いつも帰り際に、どきりとする感想を述べていく受講者がいる。

その彼女の最近の言葉が、

 

「普段、会社などであまり心を動かさず、適当に(感情を)流して生きているのかな、と思わされました」。

「英語支援員はミタ」ギャッツビーに興味を持つ小学生〜キッズブックス英語スクール

住まいのある区の公立小学校に、英語支援員として1年にわたって小学5、6年生と週2回だけお付き合いしている。

 

たまに名指しで、質問を受ける。先日も、6年生のあるクラスの授業が終わってすぐ、普段は目立たない女子生徒が、ちょっと顔を紅潮させてさささっと、私の名前を呼びながら近寄ってきた。

「先生、ギャッツビーってどんな話ですか」

えっ。授業でちょっと『赤毛のアン』の話が出た日だっただからかな。

英文学続きで、この先生に尋ねてみようと思ったのかも知れないが、驚いた。

 

「The Great Gatsby のこと?」

と確認すると、こくんと頷く。なんていう6年生だ。嬉しくなった。

でも、どこから話す?

立ち話だし。

19世紀末から20世紀初頭に台頭していく、アメリカのお金持ちの話?

主人公の男の人が、ずっとある女の人を好きな話?

 

「面白いですか」って、見かけでは「ませた」感じのないマルコちゃんのような6年生の少女に聞かれても……。

「私は面白い、いいなと思って読んだけど。」

 

それにしてもなんでまた、「ギャッツビー」だ?疑問が湧く。

 

ジャニーズ関係か?いい線だった。

 

「宝塚で公演があるんです」

とのことだった。原作も読んでね。

なぜその英語「棒読み」になる?#2〜キッズブックス英語スクール

前回に引き続き、各レベルの子どもたちと『Elephants Cannot Dance』を台本のように使って、Readers’ Theaterの練習した。

一部が「棒読み」で、一部が自然な口語に近い読み。相変わらずこの現象は継続中。

中学生で、本スクールの「ベテラン」生徒も、すらすら「棒読み」派。

 

10年以上、同様なことに直面してきたが、毎回少人数の現象であるので、わたしの「気づき」では大した説得力はないが、気づいていることがある。

つまり、この、年齢によって見られるようになる「棒読み現象」は、一種「臨界期説」の派生現象かも?

 [臨界期仮説 Critical Period]: 言語はある年齢(期間)を過ぎると獲得が不可能に なる。

 

母語を獲得するために幼児期から使えた言語能力は、第二言語学習にも使えていたが、年齢が上がるにつれて使用できなくなる、という。

 

そう考えると腑に落ちる。今、サラサラと英語を聞いたままに、ネイティブの口語のように復唱し難なく覚えられてしまう生徒たちは、まだ「臨界期」を迎えていない。

反対に、いくら口語的な言い方で聞かせても、復唱させると「文字を読んでいる」然とした読み方になる生徒は、「臨界期」を過ぎている。

 

質的に異なる「臨界期」がある、とも言われている。だから、スクールで直面してきた難しさは、英語学習の一部だけという感触はある。この件は別の機会に。

 

さて、では一部の生徒が「臨界期」を越しているなら、どうやって英語の自然な、口語的表現を指導するか。

 

これまでの指導経験で見えてきた、有効かもしれない方法はある。

頭のチャンネルを変えさせること。思考の分野ではなく、反射の分野で処理するチャンネルを「開通」させる。反射なので「つい先生の口調をマネてしまった」、という感覚だ。

筋トレにも似た努力がいるのだが、こちらも頑張るので、生徒にも頑張ってもらおう。

 

今年度も、あとひと踏ん張り、いやふた踏ん張り。

 

前回のブログ(なぜ棒読み#1)