「お稽古」とは違う、リードアラウド認定講師講座〜リードアラウド研究会

10年以上前に、ある演技の先生の門を叩いた。

その時、真っ先に言われたこと、

「僕の(レッスン)はお稽古じゃありませんよ。お稽古のつもりなら、お断りします」

 

その時、初めてだ。「お稽古」とプロの「レッスン」の違いを意識したのは。

 

「お稽古」では、(プロを目指すほど)うまくならなくていい。結果は問はず、練習したこと自体を褒めてもらえる。

しかし「お稽古ではない」というこの先生のところでは、「いくら練習しても上手くならなきゃ、僕は褒めませんよ。結果を出してもらいます」

と言われた。

 

通い始めたら、まあ、その通りだった。

「よく練習しましたね」とは、褒められるた覚えがない。

ずいぶん練習して臨んだのに、先生の口からため息が出て、こちらの胃が痛くなることも少なくない。

「今日は、ここまで」と匙を投げられたように、レッスンが終わることもあった。

 

「おいおい、褒めて育てる」つーのを、知らんのか!」

と恨みがましく思ったこともあった。

 

 

ところが忘れもしないある日、先生が言った。

「実はいつも(不思議に)思ってたんですけど。レッスン(で、できなかったところ)を持ち帰って、次に来ると、ちゃんと仕上がってますよね。どんなことしているんですか」

 

え〜、そう思っていただけ?

ああ、言って欲しいよな。

 

とはいえ、最大級の先生の褒め言葉として、自信につながった。

 

なぜ、こんなことを思い出したかといえば、私が指導する、英語絵本リードアラウド認定講師講座2022年度の受講者の認定審査があり、その講評を書き終えたところだから。

サクラサイタ

いや〜、この講座は全然「お稽古」ではない、と思えた。

みなさんが、結果が出ている。

みなさんの上達を見られて嬉しい。

(写真の意味:サクラサイタ)

 

 

 

記号を音声に。その次の壁が厚い:リードアラウドとピアノ〜リードアラウド研究会

下手なピアノを楽譜みいみい弾いていて、思った。

音符で書かれた曲を、ピアノを弾くことで音にするのと、文字で書かれた本を、声に出して読むことは、同じだなと。

 

まずは楽譜や文字という書かれた「記号」を、解読して音にする。

少し違うのは、音符は万国「共通語」だが、文字は様々な言語で書かれていること。

 

最近になってやっと一曲だけ、つっかえながらも弾けるようになったピアノ曲がある。

そのたどたどしい自分の演奏を録音し、再生して聞いていたら、リードアラウドのレッスンで私が皆さんに言っている声が自分に向かって返ってきた(気がした)。

「読めるだけじゃダメ。そこに作品を解釈してわいてくる気持ちを乗せなきゃ」。

 

その演奏は、楽譜がやっと音になっただけのもの。おまけにそんなに正確ではないときた。

なーに、これ。

と笑ってしまう演奏だ。

 

それでも大甘に言えば、スタートラインに立ったということか。

そしてそこに、分厚い壁が見えた。

 

ここから、音楽の「表現」が始まるらしい。

 

 

ほぼ楽譜通りに弾けたら、それだけで「合格」にしてくれそうな若いピアノの先生。「55年遅れてきた生徒」(私)を(シニア)特別枠で見てくれている。

 

ピアノ「劣等生」の私には、今リードアラウドで、自分が皆さんに言っている言葉が全部返ってくる……。

 

 

2006年ライブthe Danish National Concert Orchestra and choir とオリジナル作曲者、Procol HarumのGary Brookerの歌唱版:ストリングスが美しく奏で、そのあとに心をえぐられるような渋い「おやじ」の悔し泣き。

Joe Cocker 版:飲んだくれの海賊の失恋の悲しみ、のような解釈。

 

 

 

朝日カルチャーセンターで『声に出して読む英語絵本』講座〜リードアラウド研究会

『声に出して読む英語絵本』は、朝日カルチャーセンター(新宿)で開講している小さな講座だ。

1回90分で全6回の講座を、2017年から継続させていただいているのはありがたい。

テキストとして選書した2冊の絵本を手元に置いていただき、内容を深く読み込む。

ディスカッションで読解していき、感情表現や語り口などを考える。

わたしが「リードアラウド」と称している読み方だ。

体を使って表現することが少なくなった人間にとって、リードアラウドは、解放感と喜びを感じる行為となる。

それに加え、素晴らしいのは、リードアラウドの読み方だと、英語の絵本にも関わらず、子どもにも内容をかなり分かってもらえたり、楽しませたりできること。

聞いている方も絵本が読みたくなり、音読・読書や学習のきっかけになるなどの副産物も大きい。

ということで、読み聞かせをしていらっしゃる受講者も多い。

以下は、今回、機会があり受講者に寄せていただいた感想の抜粋です。

もったいないお言葉!

エネルギーが湧いてきます。

どうもありがとうございました!

*声に出して読み伝えることの難しさと面白さを毎回痛感しています。意見交換をしながら絵本を深読みし、アドバイスを受けながら恥も外聞もなく色々な読み方にチャレンジして「読み」を仕上げていく……。最初は恥ずかしさもあり、心の中では「え~っ?」「できない~!!」の連続でしたが少しずつ慣れてきました。

*「ただ読める」レベルから全く違う発見がたくさんあります。

*なにより、面白いと思える学びの場があり、参加者同士が切磋琢磨できる場に出会えて嬉しいです。

*取り上げていただいた絵本はどれも魂が吹き込まれ生き生きと輝いています。

*尽きぬ探求心と愛情をもって読む者には(本は、)惜しみない愛を与えてくれるのですね。

*より深く踏み込んでどの様に表現につなげていくかということに挑戦したことは、テーマをより深く考え理解することになり、大変勉強になりました。

また音読の技術面からのアプローチも素晴らしくワンランクアップの読みの境地を覗いたような心境です。

*受講者の個性を尊重しながら押しどころと引きどころの先生の技(?)が素晴らしいです。自分の可能性と柔軟性も実感できることも楽しい事です。

Piggies

Frederick

#絵本リードアラウド認定講師オンライン講座

#大人英語セミナー

#キッズブックス英語スクール(親子、小学生、中高生)

英語支援員は見た!『David Goes to School.』と小5〜キッズブックス英語スクール

区の「外国語活動」の手伝いで、小学5年生の4クラスで『David Goes to School.』をリードアラウドした。

前の学期に『No, David』をしてからの、第二弾。

 

今学期は恵まれて約30〜40分の枠を2つ、どのクラスにもいただけた!

 

本書のペーパー版を奮発して20冊ほど用意したので、二人に1冊の本物の本を手元に置かせての、ほぼ原型通りのリードアラウドだ。

 

「この子はだーれ?」

のしょっぱなの質問に、何人もが「デービッド!」と答えた。

 

ここでも少々感動。覚えていてくれてるということは、ちょっとは「英語や英語絵本に興味を持たせる」ことができているらしい。それに「でびっと」と言う発音ではないところに、嬉しくなる。

 

「今日はこの本です」と本を掲げ、手元にはそれぞれの本を配ると、ガヤガヤ。何をDavidがしでかすか、興味津々でぺちゃくちゃうるさい。でもいいガヤガヤ。

 

目立って喜んでいるのは男子。とてもDavidのことが理解出来るらしい。

本書のある場面。

午後の授業中、立ち上がったDavidが体をくねらしていて、先生は一言「Again?!」。

そこで、状況を把握しての素晴らしい表現(「お手洗い行きたくなるのがこれで何度めか」との先生の驚きと、授業中に行くなという憤怒のミックス)で、読んでくれた男子がいた。まるで実演。みんなにも大受けだ。

 

いやー大人顔負けの生き生きとした表現が、あちらこちらから出る、出る。

もう一つ、大受けした表現は、「反抗期のみなさんに『使える英語』です!」と言って、紹介したフレーズ、

I don’t care!

 

本文では先生が喧嘩するDavidたちを叱った台詞だが、前半のこの部分は、子どもの口答えにぴったり。

反抗期、といわれたのが嬉しい(?)らしく、我こそは「反抗期真っ只中」と白状する挙手がたくさんあったのが、傑作。

 

その反抗期のみなさんに、”I don’t care!” と大人(わたし)に口答えするという小芝居?をしてもらった。

そのうまいこと!

ピチピチした表現でかつ英語で。完璧だった。

 

素晴らしい表現と、律儀な「指差し」ながらの読み、みんなの盛り上がり、これぞリードアラウド。

5年生のみなさん、どうもありがとう!

時間を下さった外国語担当のI先生、どうもありがとうございました。

日本の小学校の英語教科書〜キッズブックス英語スクール

ここ1年半、自分のスクールに加えて区立小学校5、6年生の教室にも毎週お邪魔して、現在の子どもたちの英語学習の一端を見てきた。

そして、今朝はこの発言を読んだ。いつも頷くことの多い鳥飼久美子さんの英語教育に対する意見だ。

 

やはり、そうなんです。

英語学習で大切なことは、読むこと。Reading!

 

なのに昨今、会話が重視されてきて、小学校5、6年生の教科書は、「会話」で占められている。

が、その会話がどうも弾まない会話で、読んでいて飽きてくる。内容も深みがない。

 

教えるものが「これだけ」と決まっていて、それで面白い話、考えさせる話を書くのは難しいのはわかる。

並みの力では書けない。

 

同様の「ミッション」を受けて大成功した例の一つは、Dr. Seussの「I Can Read」シリーズだろう。

『The Cat in the Hat』など、見かけは文字がたくさんあるが、繰り返しや韻を踏んだ単語が多用されていて、読みやすい。読んで頭も、舌も、目も楽しい。

readingで学ぶ、語彙、文法、音読の楽しさ、読解するに価する内容、会話も一冊に入っている。見事だ。

いっそのこと、版権を買って教科書として使わせてもらったらどうか、くらいに思っている。(まずは先生方へ、楽しみ方の御指南が必要かもしれないが)

 

Dr. Seussは天才で、そんなにそこらに天才はいない。

英語圏にも、子どもに読みやすいようにを目的に書いた、つまらなーい絵本は山ほどある。

 

英語は読むことで力がつく。

つまらないものは読む気にならない。

読む気にならなければ読まないから、英語の力がつかない。

 

こういう状況を知っていてどうにかしたいと考える人たちに、考える費用もちゃんと版元が支払える国の予算をつけて。

そして、その考えを汲んだ英語がわかる才能ある作者に、国際レベルの予算をつけて欲しいものだ。

私企業の予算ではなく、国家予算。子どもの教育は、国家事業。