自分を知ることは怖い。
しかし、知ることで成長もできる。
みんな、自分のことは自分が一番知っていると思っているふしがあるので、意外と他人の言うことに耳をかさないものだ。
ところが、録音なり録画なりしてみると、欠点がそこに動かぬ証としてあるので、素直になる。
そこで、リードアラウド指導の研修では、朗読にしても指導の様子にしても、録音か録画するのを勧めている。
また、ふたり組で指導を行うことで、それぞれが講評し合うことで、客観的な評価もできる。
先日、ブックハウス神保町でリーダーズシアターを受け持ったベテラン2人も、まだまだ改善点を、自分や相方に見つけた。
2人の記録をみながら、みなさんの役立ちそうなことを書き出してみよう。
・「あがり」からくる現象について。
最悪は、「真っ白」になる。
これを克服しても、しばらく続くのが、聴衆の目を見られない状態。
顔はみんなに向いていても、ひとりひとりを見られない。
すると、どういう現象がでてくるか?
1.ひとり笑い(意味がわからない笑いをする)
2.ひとり言のような、だれに向って話しているかわからない言葉をはく。
今回、「アイコンタクトをとる」という魔法(?)が、この現象をほほ消滅させてくれたらしい。
言い方を変えると、あがらずに参加者のひとりひとりの顔を見られるようになったということ。
参加者である子どもたちも、これで指導者とのコンタクトが親密になり、より集中できるようになる。
・子どもの発言を促し、双方向的に進めていくことについて。
ついつい指導者が自分で説明しまう。
この傾向が影を潜め、今回は「丁寧に子どもの発言を拾えた」とのこと。
ならば、つぎはその対応の仕方を上手にする番だ。
間を置かず、短く、肯定的に。
これがこれからの課題。
本筋、ポイントをわきまえて、軌道からずれ過ぎない感覚をいつも持つことも、同時に必要だ。
話法が冗長だと、だれるし、時間が推し気味になる。
話法の簡潔さは、普段から気をつけないと、なかなか直せない。
普段の訓練も必要だ。
・対応のひとつ、子どもが読んだあとに評価について。
これが難しい。
即興力がいるところだ。
読めたときに「読めたね」では、言われてもたいして嬉しくない。
わたしが子どもだったら、「読めたよ、で?」と突っ込みたくなる。
ここでたとえば、「もう、先生の代わりに読めそうだ。みんなが後について読むから手本になって」などとしたら、嬉しいだろう。
その子の心に、その「手本」となったときの英語の単語なりフレーズが残るチャンスが高くなる。
いつも、ひとりひとりに嬉しい一言をかけられる、話術を心がけること。
自分がこれまでの人生で、言われた嬉しい言葉を、記憶の中から探しておくといい。
最後に。
指導者自身が楽しんでいるか、いないかは、感受性の強い子はお見通しだということ、知っておいて欲しい。
「指導者が面白くないと思っているもので、こっちが面白いはずないでしょ」と、だれかは考えている。
大人に厳しい目を持っていて、いつも批判的だった子ども時代がないひとは、そんな子どもがいることを意識して、そのような厳しい子どもからも「◎」をもらえるよう、心から自分も楽しめるリードアラウドにしよう。
録音を聞いて、「自分でも楽しんでいるかどうかが、声に出ている」と、今更とはいえ、分かったことは、よかったね、Rさん。
自分のリードアラウド、録音してみてわかることが多かったはずだ。
それから、そうそう。
笑顔が控え目なHさん。
子どもにも分かりやすい笑顔、練習したらよさそうだ。
笑顔は、筋肉のクセみたいなものだから、大きめに動かす練習を鏡の前で(CAのように割り箸をくわえるとか?)すると、そのうちクセになる。