「表現とは」を小説『俳優してみませんか講座』に学ぶ

珍しく「文学界」7月号を手にとり、小説をひとつ読み始めた。
『俳優してみませんか講座』(岩井秀人著)という。

こりゃあ面白い。
ひとに話したくなるほど面白い。

主人公は引きこもりの若い男性。
作者の実体験に基づいているらしい。

数年引きこもったのち、ちょうどそろそろ外に出ようと思った頃に、母が切り抜いた案内、「俳優してみませんか講座」に通い始める。
それからだ、みるみる変わり始める。

表現を、演劇講座のおばさん仲間と一緒に学んでいく過程で、他人を気にし過ぎて閉じこもっていた主人公の自己が解放されていく。

神経質すぎで、自意識過剰な若い青年と、厚かましいおばさんとの表現上の対決は愉快。
だがこの青年が、よりよい表現を追求する方法は、表現に悩むみんなの役に立つ。

自分を客観的に見ていくこと。
これを青年は、まず学ぶ。

自分の表現のどこが、よくないのか。
それを見つけるために、ビデオを撮ってみる。

そして、愕然とするのだ。
・立ち方は猫背
・しゃべる度に「ヘえへえ」みたいな感じで顎を前に突き出している。

主人公は写っている自分が「気持ちが悪い。嫌いだ」と思い、もう見たくなくなるのだが、我慢してノートに、気持ち悪い点を書きなぐる。
・声
・喋り方
・変に笑っている
・どこを見ているか分からない
・ボソボソ喋る
とめどなく見つけられた。

「これが修正できなかったら?」と考えたら、またまた引きこもりそうだ。
そこで、血眼になって、ビデオに映った自分を見つめ、メモを取り出す。
それから、ひとつひとつ考える。

「変な笑い」は何か?
変じゃない笑いは?

…こうして、主人公は自分の表現を、自分のイメージの話し方や立ち方に矯正していく。

リードアラウドや朗読は、演技と違って動作で伝えることは限られているので、ビデオはいらない。
録音してそれを聞き、自分を修正していく。

この主人公も、自分でビデオを見るまでは、先生や仲間の評が腑に落ちなかった。
見たら、納得。
みんなが評する通りの自分だった…。

リードアラウド・ワークショップでの評が、腑に落ちない時もあるだろう。
そんなときのためにも、録音はいい。

「こんなの、自分じゃない」と思っても、自分なのだ。
そこに向き合おう。

リードアラウド研修生「金星」報告

リードアラウド・ワークショップの中堅からベテランの参加者には、実際に子どもたちを前に、リードアラウドやリーダーズシアターを指導する機会を設けています。
以下は、そのひとつブックハウス神保町でのリードアラウドのあと、大島に送られてきたメールの一部です。
みなさんにも役立つヒントがありそうなので、本人の了解を得てご紹介します。

以下、Mさんのメールより~~~~~~~~~~~~

滅多に褒めては下さらない辛口の先生より金星のご褒美を戴き嬉しく存じました。

(店にあるおおきなぬいぐるみの)クマにしか読まなかった常連の男の子も引っ張り込んで読ませちゃった、
しかも彼は終わってから私のところにトコトコとやってきて「楽しかった」
と言ってくれたことも喜びでした。

自分なりに進歩できたと思えるのは、以下の様な理由かもしれません。

まず全体の時間を把握するため過去の反省点を踏まえた上で、ひとりデモを録音して聴き、余分な言葉や意味のない口癖とひとり笑いを削る作業をしたこと。

それに加え、今年度からWS(ワークショップ)で授業計画を自分で立てるというactivityが加わったことで、見えてきたことがあります。

これまでは大島先生の書いた「指導計画」を読み、それに忠実に進めていく
という予習のやり方をしていましたが、あくまでもそれは大島先生の案なのだから
それにとらわれる必要はないのだと思い至ったことで私の中に変化が起こった。

つまり、自分は自分で教材に向き合い何度も朗読し、深く読み込んでこの本を愛する。愛している本を子どもたちと楽しみたいという熱い思いを持つ。

そしてこのページのこれが重要だとか、この言葉は持ち帰り(しつこく読ませて自然に覚え)させたい、ここの読み方は入魂の演技で印象付けたい、など幾つかポイントを自分で考えてよく練り、全体のシナリオを作ったこと。

今後の課題はご指摘のように、その場での子どもの発言を注意深く逃さないよう拾って即興力を磨くことでしょう。

Dog and Bear: Tricks and Treats
(Mさんの次の挑戦は、9月20日ブックハウス神保町でリーダーズシアター)

英語絵本リードアラウド・オンライン

英語絵本リードアラウド・MINIワークショップ

リードアラウド「講評力」をつけよう~2015年沖縄戦没者追悼式スピーチを聴く

リードアラウド・ワークショップでは、2~3人のグループに分かれて、課題書をお互い朗読し合う時間がある。

1日のワークショップでこのワークは2回。
「駆けつけ」1回(予習の成果として発表)朗読したあと、その日のもろもろの研修を進める。
そして、最後の最後に、もう1回、この日の成果として読む。

このときに、大切にしているのが、グループで読み合った朗読に対する講評を、全員の前で共有すること。

表現上のどの要素が、どう変わったか。
この次までに、どこをどうしたら、よくなりそうか。
それぞれの講評を聞く。

リードアラウド・ワークショップでは、嬉しいことに、ペースは違うがみなさんが上達する。
それまでの殻を破れることも多い。

上達や殻を破れる秘訣のひとつ。
それが、この講評しあうワークではないだろうかと思う。

女性が多い場で、おまけに日本で、大人は、お世辞以外の自分への評価をなかなか聞く機会がない。
それは、ありがたい一面もあるが、「芸」のためにはよくない環境だ。

講評をし合っていくと、不思議なことに他人や自分の表現が、客観的に見えたり聞こえ始める。
…すべてが芸の肥やしになる感じ、世の中が違って見えてくる。

たとえば、毎年6月23日に行われる沖縄戦没者追悼式でのスピーチ。

これを聞いていても、政治は別の頭にまかせ、リードアラウドの「芸」を考える頭が、忙しく働き出す。

今年2015年は戦後70年でもあり、辺野古への基地移転反対運動の高まりもあって、注目されていた。
リードアラウド指導者として、スピーチするみなさんの表現を、今年もひとり「粛々と」聞いてみた。

追悼式では、平和の詩コンテスト1位になった子どもの、自作詩の朗読もある。
2013年のが強く記憶に刻まれている。

小1の詩、文も朗読もすばらしかった。

今年は、高校生だった。

うーむ。
自意識が発達した年頃で仕方ないが、ちょっと言葉がうわずって陶酔的なところが、美男美女の芸能人による朗読っぽい。
また、あがったせいか、棒読みのところが混在する。
指導者のせいもあるだろう。
その人が思い込んでいる「いい朗読」が、世間にままある陶酔的朗読だったのかもしれない。

自分の普段のピッチに下げ、型通りの感情表現ではなく、自分のものを語るように読む練習が必要だったかな。

政治家はどうだろう。

知事。
冷静で淡々とも聞こえるが、言うことは言うぞという決意が、ちゃんと語尾に現れ、しっかり聞き手に響く。
自分の言葉で語っている。
それが人々との距離が近い印象と、丁寧な印象を与え、好感を呼ぶ。


首相。
途中で飽きたか、不愉快になったのか。
言葉に込めるはずの感情が、すっとび始める。
「スラスラ」過ぎ。丁寧さや表現に欠ける読み下しだ。
言葉がなにも感情を乗せていないので、聞き手に響かない。
特に、心を痛めているとか自分の沖縄の戦没者に対する「頭を垂れる」といった文句には、気持ちを表すべきところで、空疎。

リードアラウドで培うもののひとつ、講評力。
これは、きっとリードアラウド指導だけでなく、人間力になるかも?!

リードアラウド研修生のGOOD JOBS & not-so-good job

リードアラウド・ワークショップに参加すると、模擬指導や、中堅とベテラン研修生ペアで書店などで実際にリードアラウドをする機会がある。

わたしが研修生だったら、この機会が力になるとは重々認識しつつも、思うようにいかず胃が痛くなるほどで、悩むところだ。
多分、研修生も遠からず似たようなものではないか。

生身の聴衆、参加者(子どもや保護者、そしてときどき混じる同業者)を前にして、発言を促しつつ、うまく自分の作った筋に合わせて、楽しくも教育的にリードアラウドを進めなくてはならないのだ。

「台本」(指導計画書)は必要だが、いくら綿密に用意しても、聴衆という台本なしの相手がいるので、その通りにはいかない。
即興力が、指導者のなかにデフォルトで備わっていないと苦しい。

こんな厄介なものを、それこそ冷や汗かきかきでも、こなしつつある研修生のみなさんがいる。

先日はそんな研修生のリードアラウドをみた。
いくつかのnot-so-good jobsもあるにはあるが、輝けるGood Job!
お疲れさまでした。
みなさんに参考になるgoodとnot-so-good jobsを少々挙げてみた。
David Goes to School

・声がよく響くので、一種「スター性」が出た。

先日ワークショップで使った言葉で言えば、異次元の声である。
つやつや、ころころ、といった印象の声で、喉の奥からの声だ。
「張り上げた」というよりは「響く」印象のする声で、人々が注目する効果がある。

自分の声が、人を集中させる効果ありと認識し、指導力として意識的に使えている。

・笑いが取れるようになった。

失笑でもなく、自分の自虐的笑いでもない。
子どもだけでなく大人も、面白いと思わせる瞬間が何度か持てた。
それは、指導の真っ最中であっても、客観的な視点を持つ余裕が持てるようになったためだろう。

リラックスできているので、サービス精神がでる。

一度でも、聴衆にいい微笑みやら笑いを誘導できると、その後は、さらにリラックスして、上手くユーモアを交えられるようになる。

・表現がブレなくなった。

リードアラウド研修生は、ワークショップで朗読を磨く。
英語がわからない子どもにも、絵本に書かれていることが目に浮かんできてなんとなくでも意味がわかるような、豊かな表現を心がける。

せっかく身につけた豊かな表現が、聴衆を前にあがってしまって、すっかり棒読みになることが少なくない。

読みが上手い時と棒読みのときがあるーこういうブレがなくなった。
いつでも表現が豊かな読みができるようになった。

それから、not-so-good jobsもまだ少々あり。
×「双方向」のやりとりが徹底していない。

聴衆の前に立って、自分がマイクを持っているとしよう。
リードアラウドでは、その想像上のマイクを自分だけでなく聴衆に頻繁に向けることをモットーとしている。

例えば、『David Goes to School』を使ったリードアラウドの一場面。

「机の上にこんな落書きをしたら、先生はかんかんだよね」

こう言ってしまいがち。
でもリードアラウド指導者としては、こう進めたい;

1.「このページ見て」
→子どもに見る作業をさせる。見てから各自の感想をもらす時間を与える。

2. 漏れ聞こえる感想を拾う。
→それぞれ全体に紹介する。

3.「(絵本の主人公)デッビッドの先生だったら、どう思う?」「どうすると思う?」
→本文に書かれていることを、子どもの推測から拾う。子どもの言葉で「正解」をださせる。

こんな3段階を踏みたいところだ。

これだと、マイクは感想を拾うのに1回、子どもたちのほうへ。
それからもう1回、推測しそれを発言する子どものほうへ。
こうして2回も子どもに発言チャンスができ、参加している実感が子どもにも湧くというものだ。

指導者が自分で「机の上にこんな落書きをしたら、先生はかんかんだよね」。
それをいっちゃあ、おしまいよ。子どもが口を挟めない。

×「今、何をしたらいいか」が分からない子を、とりこぼしがち。

例えば、「カフェテリアの場面、このページを見てね」と指導者が言う。
→どのページか、どの文か、どの絵か、子どもの目の前まで行って、指し示してあげよう。
3人以上子どもがいれば、ひとりは分からない子がでると思おう。

×個別に発言を聞けたが、それぞれを全員で共有せず、全体ががやがやした。

ひとりひとりの発言を拾う時間を作ることはできたが、それを指導者が受け取ってから、全体と共有、というのが徹底しないと、がやがやするものだ。

例えばカフェテリアで食べ物が散乱する場面で、「どんな食べ物が飛び散っている?ミッケしよう」と言ったとしよう。
ひとりが、何かをみつけ、指導者がそれをその子の前で確認する。そのあと、全員と確認して、みつけたものを共有する必要がある。
それが、全体をまとめる力。
離しては掴み、掴んでは離す。そのリズムを掴もう。

ところで、
good jobが出来るようになってきたには、わけがある。

詳細な指導計画と準備
それと…
(気が重くやりたくないが)、詳細な録音を聞きながらのfeed backだ。

他人の講評(特に辛口の講評)も役に立つのが、なんと言っても動かせぬ事実(録音)を前に、自分に厳しく向かい合うことが、上達の道。

録音して、それを自意識と戦いながら聞き直すこと。
これが、上達に繋がる。

『英語喉』~広島ネイティブが教え、広島ネイティブが学ぶ

「英語喉」という言葉をみつけた。
アメリカ在住の上川一秋さんが提唱した、英語をネイティブのように話す発音のメソッドらしい。

リードアラウドを指導していて、発音は「ネイティブに通じる程度」を基準に指導している。
とはいっても、主な相手は、幼児期から英語をしている子どもたちで、まったく発音には問題なく、これまであまり注意して来なかった。

でも、大人の英語学習者の悩みなどをネットで読んでみると、発音に関するものが多く、ほとんどが「ネイティブ並み」になりたいと、憧れに近いものを持っているようだ。

そんなみんなが憧れる発音を手に入れ、その方法を指南してくれるのが上川さん。「英語発音界」のスターだ。

その「英語喉」、ネイティブ風の英語の発音は喉から作る、というのだが、言われてみればなるほど、と思い当たる。
面白いと思った。

いくつか「英語喉」レッスンの映像を見ていたら、傑作が!

上川さんが、広島の言葉で広島の女子中学生に英語の発音を、喉の使い方から教えている映像、傑作なのでどうぞ!