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早いもので20年あまり、英語絵本を日本で紹介することに関わってきた。
近頃、特に感じることがある。
英語絵本に興味をもつ層が、これまでの小学生やその親御さんから、乳幼児を持つ親御さんたちに移ったということだ。
それを踏まえて、乳幼児向けの英語絵本リードアラウドについて、前回書いた。
今回は、リードアラウドの本命は実は小学生だ、とのことについて書きたい。
「えほん」という印象から浮かぶイメージが、どうも「幼稚なもの」で、勉強をすべき小学生向けではない、と思われるのだろうか。
今思えば、小学校で英語が教科になると決まった頃から、小学生は勉強としての「英語」の十字架を背負わされたのかもしれない。
「お楽しみ」だけの、たぶん「幼稚な」絵本はもう卒業だ、という勘違いが生じたのかもしれない。
しかし、それは英語絵本をよく知らなかったり、よく読んでいない大人の勘違いだ、と強く訴えたい。
絵本は本の一種であって、これを読書の一環と考え、文字だけの本への橋渡しとして考える。
英語力が落ちたことが顕著に見えていた1980年代、特に米国では、絵本がこれまで以上に重要視された。以来、出版社も「将来の本の読者を増やす」ために、絵本やつなぎの児童書を魅力的にすることに力を注いでいるのである。
絵本には、読んで聞かせるだけでなく、子ども自身が読むことを考えているものがある。
リードアラウドで選書するのはそれらの本だが、文字が少ないものから多いものへ、語彙も精神年齢にそって簡単からより難しい、より抽象的なものへ、「絵」の部分は徐々に減らすことで絵本から本へのギャップを小さくする努力もされている。
英語圏では、
英語力は読書から養う、
という強い信念がある。
だが、日本では、ワークブックが溢れている。
日本の小学生の英語教育で、絵本が軽んじられるのには、もしかしたら、原書の翻訳での日本語の文体にも原因があるのかもしれない。
ナレーターや会話、文全体も、日本語では対象年齢で変わるのが普通なので、そこで固定してしまう。
たとえば先日、先生向けのワークショップ(英語絵本リードアラウド認定講師講座)で取り上げた『Little Blue and Little Yellow』。
本書は、英語圏で広く使われている英語の難易度を客観的に測るシステム、レクサイルによると、440L 。
これは、そのほかの同レクサイル値の本や経験からすると、だいたい英語圏の小学校1年生の3学期くらいまでに、クラスの半分以上が、自分で読めそうな文だ。
テーマや内容的には小学生低学年がぴったりだが、小学生全般でも情緒的な学びがあり、ディスカッションもでき、勧められる一冊だ。
英語を読む限り、小学生ともぜひ読みたい本なのだが、翻訳書を見ると、少々印象が違う。
『あおくんときいろちゃん』というタイトルでかわいらしく、かなり未就学児向けに聞こえる。
英語も絵も抽象的で、未就学児向けだけという感じがないのに、この日本語タイトルでは、低年齢向けという固定観念が入りやすい。
翻訳が悪い、というわけではまったくない。ただ、日本語の特徴で「わたし、ぼく、おれ、あたし、わたくし」などなど主語からして、いろいろあって、「I」だけの英語と大違い。翻訳者の選択でイメージががらりと変わったりする。
ということで、
絵本は翻訳本のイメージを捨てて、原書を見てほしい。すると、実は小学生にいっぱい読んでほしい本があることに気づいてほしい。
そして、英語絵本は本格的な英語読書のウォーミングアップとし、とても重要なもので、時間的、密度的にも、長く濃く使うべきものだということを知ってほしい。
小学生時代は、全部、英語絵本でいいとも思う。今や、絵本でも内容が英語圏小学生5、6年以上のものもざらだ。
読書には、楽しみや喜びがついてくる。ワークブックは頭の整理として、多くの時間は読書に使ってほしい。読めば読むほどに英語の力がついてくる。
翻訳を知っているだけで、中身をよく読んだわけでもない大人は、英語原書は小学生の我が子にはちと幼稚かな、などと思ったりするのではないか。
精神年齢的に小学1、2年生に適する本は、日本の普通の小学生1、2年生に読みこなせるか?
文字だけだったら、ほとんど無理。だが、感情を込め、ニュアンスのある英語で、絵とともに読み解くと、かなり理解できる。普通の小学生だったら、5、6年生にいい。
内容も通りいっぺんの、筋だけの話ではなく、起承転結があり、心の描写があり、言わんとするところ、考えさせるところが満載だ。
文の質もよい。
こんな「えほん」こそ、まだ英語を読んで理解できない、英語を始めて日の浅い小学生と読みたい。