Ten Little Caterpillars でリードアラウド

3月のまだ肌寒い朝、クレヨンハウスのリードアラウドは、戸外!
動き回るわたしや、「風の子」たちは心配ないが、おとなは平気だろうか。

この日、子どもたちに混じって、意外と多いおとなの参加者に、少々心配だった。

この日の本、Ten Little Caterpillars はイモムシ・ケムシ・アオムシといったcaterpillarsが主人公。
先入観がまだない子どもたちには、興味深い生き物が主人公だ。
これらの生来の美しさ、生態への興味を感じてもらえる本のはず。

最初のcaterpillarがcrawled、と本文。
「このcaterpillar、何をしているの?」
質問していくのが、リードアラウドの流儀。
「はっぱを食べている」
と、さっそく少年の発言あり。
いい出だしだ。

「まだ、はっぱにたどり着いていないけど?」
つっこむわたし。
「食べたいなと思って、はっぱに向っている」
素晴らしい観察。
でもさらにつっこむ。
「どう向っている?」

こうなりゃ仕方ない、と思ったのか、少年は前に出て来てさっと、床に這いつくばった!
そして、もじもじ、アオムシらしくcrawled……。

大喝采が起こったのは、言うまでもない。

「2番目のcaterpillarは、wiggled」と本文。
「これは?」
に応えてくれたのが、おとな!

前に出て、身体をくねくね。
爆笑が起こったのも、言うまでもない。

もう、これで半分以上、リードアラウドは成功したようなもの。
会場に楽しい雰囲気が、醸し出されたから。

これに、あとは役立つ知識を少々と、本文の読み方などを、印象付ける。

おとなも子どもも和気あいあいと、肌寒さを吹き飛ばす笑いとともに1冊の英語の絵本を挟んで過ごせた60分。

書店のみなさん、参加者のみなさん、ご一緒できて何よりでした。
どうもありがとう!

「マジメ文化」vs. リードアラウド

わたしが鈍いので、ぼんやりとしか感じないが、英語教育関係者から否定的らしい視線を送られることがある。

リードアラウドは英語絵本を手に子どもたちと「不真面目」に「大騒ぎ」している「だけ」だと。

先日の新聞の教育のページ『遊びながら学ぶ授業』を読んで、ハハーンと思った。
遊びを通して授業をしている先生たちの楽しそうな授業が紹介されているのだが、記者がこう書いていた;

「遊ぶ授業」は学校でなかなか広がらない。最大の壁は学校の「マジメ文化」だ。

ああ、そうなんだ……。
なにやら腑に落ちた。

明治時代以来、授業というもの「教師が一方的にしゃべり、子どもに静寂と集中を要求してきた」。
そして教師は「『これはテストに出すぞ』と脅し」て勉強をさせてきたという。
「マジメ」を求める文化だ。

記事に取り上げられていた「遊ぶ授業」を試みる現役教師たちは、
「授業ではないと否定された」とか、
「同僚に白い目で見られ、浮いてしまう」
と発言していた。

リードアラウドを、書店でやっていれば「授業」ではないから、英語教育界の「マジメ派」も大目に見てくれる。
だが、それが塾や学校の授業となると話が違うのだろう。
「マジメ文化破壊者」として、厳しく見られるのかもしれない。

この「マジメ文化」、担い手には教師ばかりではなく親もいる。
その親たちが支持するのは、もちろん「マジメな授業」。

でも、子どもは違う。
「2010年のベネッセの調査では、中学生教師の73.2%が、生徒の学習意欲が低いことで悩んでいる」ともある。
やる気がしないことが多いのだろう。

そこで、子どもに支持されやる気にする「遊ぶ授業」を試みる教師たちに、エールを送りたい。
ここ、英語教育の片隅のリードアラウド指導者たちも仲間だ。
記事にある「遊ぶ授業」の楽しさと有効さ、わたしたちも知っているよ〜。

キッズブッス英語スクール発表会〜おとなのご褒美〜

子どもたちを指導する機会というものは、おとなのご褒美かもしれない。
そんなことを発表会で思った。

この一年で、どの生徒も、絵本をよく理解して、本当に上手に読めるようになった!
保護者から、自ら練習をしたという話を聞くだけで嬉しい。

授業でたびたびご機嫌ななめになり、あまり練習できなかった生徒が、発表会の当日に早く来て「練習する」と言ってきた。
そして本番を見て、機嫌悪いなりにわたしたちの指導をちゃんと聞いていたということが分かった。
仏頂面ではなく、表情豊かに堂々と読めたのだ。
これは、ことさら嬉しかった。

途中で飽きてしまうかと思っていた3歳児が、「おにいちゃん、おねえちゃんが読むのをもう少し聞く」と言った。
自分の発表が終わったあとも残って、小学生クラスの絵本を見てくれていたのが嬉しかった。

「ただ正確に読むだけでなく、内容を理解したうえで表現を考えて」と生徒に指導してきた。
「ここはこう読む」と決めつけず、ディスカッションを通して生徒と一緒に表現を考えたところも多い。
一時期、恥ずかしがってわざと棒読みしていた生徒は、この解釈という過程を経ると、表現豊かに読めるようになった。
もともと表現に興味があった生徒も、解釈することで表現がさらに細やかになった。

こんな生徒たちが、家族の前とはいえ観客を前にして、リードアラウドや朗読劇を披露できた。
おまけに出来映えは練習以上だった。

英語をほとんど知らなかった子どもが、ぐんと力を伸ばす。
その手伝いができるというのは、こんなに嬉しいことなんだと再認識した。
わたしたち指導者にとって、ご褒美をもらったみたいに嬉しい日だった。

キッズブックス英語スクール

精進する人が好き~女子フィギュアスケート編@リードアラウド研究会

フギュアスケートの大会で、選手の出番直前が写し出される。
コーチとの関係がそこに見える。

「母子密着」または「父子密着」のような選手とコーチの関係は、日本選手に多いように思う。
うるうるした目で、親代わりのコーチの目を見つめ、「うん、わたし頑張る」と頷く。
日本的な、うまくなるひとつの型かもしれない。
日本の文化、かもしれない。
が、人間の成長という目で見ると「依存」と思えて、わたしは居心地が悪い。
選手が「おとな」に見えないのだ。

優勝候補のひとりだったカロリーナ・コストナー選手。
先日の選手権で、出番直前に鼻血が出るというアクシデントがあった。
その対応が、あたり前と言えばあたり前だが、自分の身に起こった自分の問題として引き取り、コーチに訴えたり慰められたりの場面はなし。
そして…、見事に滑り終え2位獲得。

「血が川のように出て、たいへんだった」との自身のコメントがあった。
そんななか、態度や対応が一貫して「おとな」で、とても印象的だった。

精進する人が好き@リードアラウド研究会

リードアラウドを指導する者として、どんな分野でも精進する人に目がいく。
先日は、ある男子フィギュア・スケーターに。

Denis Ten、1993年のカザフスタンのスケーターで、先日の世界フィギュアスケート選手権で2位に入賞した。

一瞬、「皇太子殿下がスケート?」それも精悍で高技術でかつアーティスティックな?と我が目を疑った。

疑って正解。
「皇太子殿下」ではなく、「高麗人」というロシアの人種カテゴリーに入るカザフスタン人の若者だった。
ただ「精悍で高技術でかつアーティスティック」は、事実だった。

ほれぼれした。
あることに精進して培ったものと、生来のものがブレンドされた、「いい魂」を持っていそうなのだ。

ん〜、だれかに似ていると思ったら、五嶋龍さんだ。
ハーバード大学では物理学を修めた、世界的ヴイオリニスト。

人間としての基礎力が、強そうなのだ。
胆が据わっている感じ。
勇気がある感じ。
原始社会で、狩猟に行ったらかならず何かを狩ってくる、男性本来の力のようなもの。

男性スケーターは、ときに「女性になりたそう」な男性が、「男性」をハンディにして滑っている。
そんなときには、男性フィギュアスケートの意味を考えさせられることがある。

そしたら、このDenis。
彼の滑りが、男性フィギュアスケートの方向を見せてくれた。

そして、精進して、そのときの最高の自分を披露できたときの喜び、その素晴らしさを見せてくれた。

Denis Tenの昨晩のつぶやき「My dream came true. I can’t believe it all happened just a few moments ago. Thank You! Thank You! Thank You!!!」
ついでにMiki Andoも「 Denis!!! I am really happy for you:))) congrats:D xoxo」