『おじいさんの旅』の思い出

 今年度の指導者向けワークショップの最後の課題はGrandfather’s Journey と日本語版『おじいさんの旅』だ。

 「このような素晴らしいご本と、どう巡り会われたのですか」と、ボランティアでこの本を朗読をしている高齢者施設で、ある婦人に尋ねられた。そこでは話せなかったが、ああ……話せば長ーい物語があったのだ。「巡り会い」そのものは「たまたま」でたいした話もないが、「別れ」の物語が尋常じゃない。大げさに言えば、今のわたしがあるのもそのおかげ。秋の夜長に記しておこうかな。

 あまり何度も読んでいて、すっかり自覚が薄れたが、この日本語版はわたしが訳した。本の表紙には名前が出ていないが、奥付には「大島英美」が付いている。これがめでたい初のクレジットの付いた翻訳。出版界では、例外はもちろんあるが、出版された作品があるひとの本は出版され、それを持たないひとの本は出版されない。つまり、最初の出版までの壁がやたらと厚い。

 Grandfather’s Journeyの作者は15歳まで日本で教育を受けたひとなので、日本語はほとんど会話では問題ない。ただ、文章となると、自覚はなかったようだがかなり問題があった。翻訳の話が持ち上がって、初めは原作者自身が日本語にしていた。たまたま、わたしはファンからの「成り上がり」の知り合いだったので、その最初の日本語訳を作者に見せられた。

 作者自身はそれこそ「ふたつの故郷」を持ったひとだが、頭の中は英語になっていることがありありと見える、それは意外なほど直訳的な日本語だった。ロマンチックで心にしみる原書の大人の英語が、「てにをは」が微妙に違い口語と文語が混じった、「かわいらしい」日本語になっていた。

 たいていはストレートにものを言うわたしは、このコルディコット大賞受賞した有名絵本作家さまに、まあかなり本当のことを言った。作家も面倒だったのか、「じゃあ直してよ」ということになり、わたしは苦吟しながらもぜんぶ書き換え。ここから、日本語訳はわたしの言葉になっていった。

 ところが、「わたしが訳した」というわたしの意識がそのまま作家に伝わらず、「翻訳者として名前を入れさせて」とだけははっきり言えず。それこそ念力で意思を伝えようとしたが通じなかった。初版は原作者本人の訳と銘打って出版された。

 もんもん、もんもん。どう考えても自分がした仕事に自分の名前がつかないのに納得がいかなかった。わたしのような若輩者の思いを想像できてもよさそうなのに、とこの大先輩が情けなると同時に、彼自身の人格のためにも「教えてあげないとよくない」と思ったわたしも図々しい。ついに意を決して、アメリカのその作家の家まで行ったのである。

 「その勇気、応援する」と、アメリカ人の熱く親切な友人が、NYから合流してくれた。彼自身、新人として出版にこぎつけるまで厚い壁を自分で壊したひとだからだろう。ずいぶん、勇気づけられた。

 凍りそうな雨がしとしと降っていた日、西海岸にあったその作家の家の前に立った。玄関ヘの小道でハイヒール片方の踵が取れた。微妙な立ち姿で震えながらドアをたたいた。喉はひからびて、口も乾き、声はかすれるほど緊張したが、「翻訳:大島英美」の一行を入れる許可をもらった。当然のことをしてもらったのだが、作家からは「こんりんざい、電話も手紙もメールもあなたからはお断り」の言葉をいただいた。

 ……という、「難産」の作品、これじゃわたしのリードアラウドする心もこもるというものです。
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