「音楽朗読劇」なるものを見た、聴いた

 久しぶりの下北沢、外国のようだった。アジアらしい雑多な店の並ぶ「バザール」が駅から広がっている。聞こえてくる言語が、日本語なのが不思議な気がする。新聞で読んだ「ネコカフェ」も、見つけた。ネコがいない寂しい生活になったときは、ここに来よう。

 北沢タウンホール、いわゆる公の立派な「ハコ」のひとつ。世田谷区もお金持ち?そのホールで、友人の音楽家、今井由美子さんが音楽を担当した音楽朗読劇「おもいできらきら」を見た。Reader’s Theaterのお勉強が目的。スタイルなどを学ぼうと思っていたところ、不覚にも……物語に入りこんでしまった。涙まで絞ってしまった。
 1945年3月の東京大空襲を題材にした物語。国が始める戦争で、いっぺんに消えてしまう市井の人々の日常、この不条理な状況にいつも過剰なくらい反応してしまって困る。

 さて、登場人物は10人。黒い椅子が9つ用意され、黒装束の10人が登場したが、9人はそれぞれの手に同じ装丁の本を持つ。その9人が立つ、座る、歩くの動作を、きびきびとほぼ揃ってするという演出。物語の場面が変わるとき暗転し、席順が変わる。向こうにいる人とこっちの人の距離感など、声に立体感が出ていた。
 ところで10人中、椅子も本もないひとりは何者か。物語の語り手は、今は年配になった「わたし」で、年配の役者が担当している。だが「当時のわたし」、小学生の少女を朗読ではなく演じるのが、鈴木貴子さんという青年座の女優だった。9人の朗読者の間を「生きた人間」として、少女らしくくるくる動き回る。彼女を見ているだけで、こちらに見えないはずのものが見えてくる。

 ナレーター、年配になった「わたし」、そして「当時のわたし」役以外の7人は、何役か掛け持ちだ。本から目を離し、そらで演じる場面も多々あった。表情は自然についてくるものだろうが、朗読劇は声だけでなく顔(表情)も鑑賞対象なのだった。盲目になった役の男優は、目を痛そうにつぶったままの「朗読」である。

 わたしだけでなく、会場では何人も泣いていた。舞台に上がった朗読者たちの何人かも、合間に泣いたりしているのを見逃さなかった。舞台装置はなし。だが一家の茶の間や、隅田川、小さな家や質屋の大きな建物のある下町の町並み、空を飛ぶ大きな「クジラ」(B29機)、焼けていく東京……が見えた。「作品の空間」が創られていたステージだった。

 さあ、ますますハードルが高くなったぞ、絵本のリードアラウド!