20年前の日本人の英語についての本を読んだ〜その1:変わる日本人の英語

近所の古本屋で「爆買い」。

小学校で英語を教える必要はないという論者、鳥飼久美子さんの『異文化をこえる英語〜日本人はなぜ話せないか」も買った。

発行年を見ずに読み出した。
第1章「日本人であるがゆえの壁」で、「英語らしい発音は恥ずかしい?」と小見出し。
そこには若者でさえ、英語らしい発音を「キザ」と感じて、「わざと典型的な日本人英語をしゃべる」とあった。

「ん?」とわたし。
これは先日、つまり2015年4月下旬の経験、(ブログ参照)「英語らしいカッコイイ発音」をしたがる日本人の空気と違いすぎる。

でも、確かにかつて「帰国子女」となった教え子たちからは聞いていた話でもある。
そこで、この本の発行日をみたら、何と平成8年。

いやはや、約20年。
なるほど約20年。
これで、空気は変わるのだと、なんだか感慨がわく。

そうか!

先日も30~40代の人たちに、中学高校時代の英語の先生について尋ねたときのこと。
「いやー、日本人英語の発音の先生がいてね」
とかの反応をなんとなく想定していたら、大間違い。

「そこそこ、でした」と口を揃えて言った。

そう言えば、この頃、一般の人々の英語を聞いても、カタカナ発音はめっきり耳にしなくなった。

思い当たるふしが、あちこちにあった。

「キザ」という表現も、これまた耳にしなくなったが、20年前は「キザ」と言われ嫌がられたものが、今じゃ、逆に「カッコいい」になったわけだ。

別に、本物の英語の発音が別段格好がいいというわけではないと思うが、本物らしいほうが通じやすいから、いい変化だろう。

まあ、それにしても、この大転換。
あんなに「臭い」とか除けられていたパクチー(香菜)が、好まれるようになったみたいなものか。

発音、口語にシフトした日本の英語教育、では今、何が足りない?
それとも足りなくないのか?

学校の英語は時間が限られている。
何かを削っているに違いない、と思う。

長い物語の読解や文法じゃないだろうか。

さてさて、この先、この鳥飼さんの本を読み進めて、今と比べてみたい。
そうそう、そして鳥飼さんの近著も読まなければ。

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