先生の役目〜リードアラウド研究会

 

ふと目にしたSNSのつぶやき。

あるコメディアンが不祥事でMC役を外された後の、担当番組の様子についてだが、先生という役について言っているみたいだった。

言い得て妙。

 

 

〇〇(コメディアンの名前)がいない『△』(番組名)。話を区切り突っ込む人が不在だから、番組の流れにアクセントがない。XX(参加者)のおしゃべり垂れ流し状態に見えた。XXたちの話が〇〇のツッコミで中和されずウザさが際立ってしまった。まるで田原総一朗がいない朝まで生テレビ。

 

先生の役目:

・話を区切り、突っ込む

・流れにアクセントを作る

・参加者の話を垂れ流しにしない

・ツッコミでアクの強い話を中和する

 

絵本で英語を指導する:絵本リードアラウド認定講座

「ようやく子どものような絵が描けるようになった」晩年のピカソの偉大さ〜リードアラウド研究会

 

先日の英語絵本の朗読(リードアラウド)オープンマイクで、実は衝撃を受けた。

 

ある子どもの朗読が、大人の誰よりもうまかったのだ。

 

その朗読を聞いて衝撃の第一の波を受けた直後は、指導者としてやっていることの足元をさらわれた感じ。

「かなわない」「大人の表現ってどれも気持ちが悪い」「どう指導したらいいの」

といったお手上げな感情だった。

 

一週間以上経った今朝、浮かんできたのが晩年のピカソの名言

「ようやく子どものような絵が描けるようになった」。

 

ああ、この意味が本当にわかった。

子どもの中には表現の最も純なものがあって、それは子どもから難なくするりと出る。

そして、その表現は小賢しくなった大人の凡人には真似ができない。

 

真の芸術を求め続けたピカソの中にあった目標が、この子どもの表現の再現だったのだろう。それを求め続けたから、偉大なのだろう。

それは、人間が行える最初の表現であり、同時に完成形、そして理想形だ。

ただし、通常は時間とともにその人から失われる。

ピカソが求めたその再現。

そして多分、天才だから、晩年にやっと自身がそこに「たどり着けた」。

表現ってそういうもの、「子どものような絵」、なのかもしれない。

 

英語絵本の声による表現をする大人の目標は、「子どものような表現」か。

それは埃をかぶっているどころか、コンクリート詰めになっているかも。目標は、それを引っ張り出す。

 

それから、今せっかく子どもの人たちに、大人がすべきこともある。

一人ひとりの子どもは、元から内に持っている「芸術」がある。

それは、いろいろな外装でを包まれているので、指導という「ノミ」で削り取って、なるべく壊さず取り出してやること。

「ノミ」は助けにもなるが、傷つけることもできる。心して。

 

さあ、自分のコンクリート詰めになった芸術、または表現を救い出しつつ、今子どもの人たちには、彼らを包んでいる覆いを少しでも軽くしてあげようか。

 

 

初オープンMIC英語絵本deナイト終了!〜リードアラウド研究会

神保町のブックハウスカフェで初のオープンMIC「英語絵本de ナイト」が、6月21日(金)19:00~20:30に開催され、無事終了した。

 

エントリー人数、15人にお客様も。朗読された本は13冊。

いやはや、みなさん。お見事。ああ、人間の営みはいいなあ、尊いものだ。

 

カルチャーセンターで、声の出し方や立ち姿から、ときには英語の言葉の意味や発音から、そして解釈と表現方法を学びながら、ここまで仕上げたみなさん。

 

リードアラウド研究会で毎月1回、絵本の分析や解釈と、それにもとづいたより深い表現練習をしてきた英語のプロ、先生たち、そしてその先生方の生徒。

 

外部の3エントリーのみなさん。

 

これらを加えて、まこと、「耳福」な時間だった。

 

 

朗読の完成度が上がってくると、他人に聞かせたくなるのは自然なことだ。

逆に、聞いてもらえるあてがあると、練習に力が入るものだ。

 

今回のエントリー者の朗読は、そのほんとんどの「責任者」は、もともとそれを指導したわたしだ。

その立場からすると、よくぞここまで磨いてくれました、という嬉しさがこみ上げる。

 

さて、その仕上がりについて客観的に考えてみる。

 

今日こうして数日を経て、初めて見えてくる「門下」(こう呼ぶのも恐れ多いがとりあえず…)の特徴があるように思う。

 

そのひとつが、個性的。多少「荒けづり」でも、個性を殺さない指導ができているのか?

 

もうひとつは、エネルギーの大きさ。少なくとも、力のないふにゅふにゅな感じの朗読がなかった。朗読者がパワフル、またはパワフルになる指導なのか?

 

それから最後に、楽しさと気持ちのよさ。もともと楽しい人たちなのか、読んでいるうちに楽しくなるのか?

 

なんにしろ、ずばりリードアラウドそのものを、みなさんが体現していた!

あー、よかったな〜。

絵本リードアラウド認定講師講座第4回報告:その2.ウソをつかない〜リードアラウド研究会

今回の講座の課題書は『Dear Zoo』。

朗読方法ともうひとつの講座の柱は、指導方法だ。

本書では、「0-2歳の子どもを持つ親の指導」を考えた。

 

対象は大人である。昨今はこうしたプログラムに「パパ」の参加も多い。

心の底では、「女子どもの絵本」とか思っている人もいるかもしれない。

そんな大人を納得させる指導を、したいではないか。

 

親たちに伝えたいのは、こんなこと;

英語絵本を親が読んであげること、いっしょに読む時間を作ることはなぜ子どもの成長にいいのか。子どもの英語教育にいいのか。

『Dear Zoo』という本は、どこがいいのか、おもしろいのか。

 

子どもの英語学習について、「こうするといい」と語る人は多い。

しかし、「世間話」だったり自分の経験だけだったり。

「これだ!」とわかりやすくても、なんら科学的根拠を示してくれない、またはそうれがない。これでは、科学の世界ではウソと言われてもしかたない。

 

リードアラウド指導者としては、ある言説が、科学的な裏付けがあるものならその出所を示す用意はあるべきだし、経験に基づくものなら経験だと明確に明かす。「風説」ならそれはそうだとはっきりさせる。

英語教育について語るとき、その「確からしさ」を明確にしよう。

 

20世紀、それも後半近くに第二言語の習得が「学」または「論」として科学的に研究されるようになった。

認知心理学など心理学、社会学、脳科学など、周辺の科学と共鳴して発達している。今日この時間にも、新たな論や、仮説だったものが定説になり、あらたに認知されているかもしれない。

 

いつか「責任者を出せ〜」と、いわれないように…

 

「CDやAIではなく、親が生の声で読んであげてください」

「1日15分でいいんです、毎日、読んであげてください」

「親の訛りはほとんど心配ありません」

 

…たとえば、これら科学的または統計的裏付けがあるのだが、「一介の」英語の先生があいまいに言ったのでは、眉唾かと聞き流されてしまうかもしれない。

 

しかし、しっかりと

「第二言語習得学」や

PISA(Programme for International Student Assessment)の結果をOECD(Organization for Economic Co-operation and Development)が分析した結果に基づいているとか、

これらを知っていて話しているのだとわかれば、説得力があるだろう。

 

科学的とは、真っ赤な嘘を平気でつかない、どこが確かで、どこが不確かかを認識した態度でもある。

 

第二言語習得学について、もっと学んで、認定講座で皆さんと考えをすり合わせる時間が必要だと思った、今回の認定講座であった。

 

*****

リードアラウドに興味を持っている皆さんに、ぜひ一度は読んでいただきたい本:

岩波新書『外国語学習の科学ー第二言語習得論とは何か』白井恭弘 著

絵本リードアラウド認定講師講座第4回報告:その1.褒め足りない〜リードアラウド研究会

6月の認定講師講座を終えて、何晩か明けて、よかったところ、もう少しだったところが、だんだんはっきりと浮かび上がってくる。

ちょっと、褒め足りなかった気がする…。

 

復習の『The Runaway Bunny』。

登場する3人、ウサギ母、息子、ナレーターの読み分けと、それぞれの場面での葛藤や気持ちをどう表すか。

 

随分と前回から比べて、キャラに安定感がでた。

どれもよくなっていたのだが、印象深かったのは…

 

Yさんのウサギ母。

こんな母がどこかにいそう、と思えるリアルな造型だった。発声がよく、奥からの響く声で、大人で教養ある母が浮き彫りになった。

 

Rさんのウサギ息子。

思いつく典型的な子ではないが、こういう子かも知れない、と説得力がある。どんな子でも、「そうかもな」と思わせる力があればそれもOK。

 

Nさん、3者の分離と安定感はなかなかのもの。

Hさんのウサギ息子、言葉尻というか「会話尻」?にときどき残る、Hさんの読みグセを消せば、生き生きしたところがとてもよかった。

 

 

今回の課題書『Dear Zoo』の表現では…

 

 

本書はZooに手紙を書いた、濃いキャラの「I」の演芸口調で、という、リードアラウドならではのミッションだ。

そうすることで、ただ読んだだけでは単純な話で大人に感動があるわけでもない幼児向けの本を、リアルに肉付けし、読むわたしたちにも興味深く思わせること、そして聞く子どもにも深みを、大人にはユーモアを感じさせたい。

 

子どもにその面白さがわかるかどうかは別にして、設定としては「いるいるこういう人」と気づかせてくれたのが、Hさんの「ハイミス」を主人公にしたバージョン。

「いい歳」なのに、娘口調が残り、子ども心というか、幼稚さ、わがままっぽさもある、キャラが立った「お姉さん」。それでいて、聞かせる子どもへの愛情も感じる。傑作。さらに磨きをかけて、レパートリーに加えるといい。

 

発案として優秀賞は、Aさんの「デビ夫人」風。

コネもお金もある「I」が、動物園に「ペットをちょうだい」と手紙を書くという設定。奇策で面白い。座布団1枚。

ただ今のキャラ造型技術は、発声に少々難あり。気道をあけるというか、声帯を開くというか、イメージとしては声を頭頂から出す。これは、念力のようなもので、そのイメージを体に染み込ませて、声の通り道を変える。

新しい技術を身体的なものに定着させるのには、稽古!

 

ひととおりだが、行儀よくまとまっていたのは、MさんのDr. ドリトル版と、Yさんの「上場企業に務めるお父さん」版。

キャラが思いつかなかったり、肉付けが難しい場合、本やドラマから自分がよく知っているキャラを借りるというのも一手。

でも、そのイメージに寄りかかり、自分は知っていても他の人は知らないということが、念頭にないと、造型が薄く伝わりにくくなる。

 

「上場企業に務めるお父さん」も、父の日のCMのような薄くて類型的な「ステキ」のイメージになりやすい。どんな顔して話をする人なのか、笑い方、しぐさ、例えば、ごはんの食べ方などまで考えていくと、リアルになる。書き出してみよう。

 

キャラ分けも楽しく、技術もついてきたNさんは、そろそろもうひとつ、charmを出せたら、ひとつ上の段階、エンターテイナーに近づく。現状、ついつい顔を出すのが先生キャラ。別人格を工夫したい。

 

ああ、別人格といえば、Rさんの「元動物園の園長」のじいさん。

体臭まで(加齢臭?)臭ってきそうな、リアル感。まいりました。ステキ!