リードアラウド指導で、表現指導ともうひとつ特徴的なものがある。
双方向型で進めるということ。
たとえば、一方向型(説明調)指導であれば、
「これは『Three Little Kittens』という本です。三匹の子ネコが手袋をしてパイを食べ、お母さんネコに叱られる話です」
と説明すれば終わってしまうところを、以下のように根掘り葉掘り、子どもに尋ねる。
双方向型(問答調)指導例
「どんな話かな?」→「ネコの話」→「そうだね、何匹?ネコは英語で言うと?」→「三匹。cat」→「そうだね! 三を英語で言うと?」→「three」→「そうそう。Three catsの話らしいけど、それが本の題名になっているかな?」→「???」→「そう、catって書いてない。なんでだ? このネコ、大人かな子どもかな?」→「子ネコ」→「そうだね、だから子ネコって英語で書いてある、kittens. 読んでみよう」→「ところで、普通のkittensと何か違う?」→「手袋をはめてる」→「うん、こういう手袋はなんて呼ぶか知っている?」→「ミトン」→「Yes、あたり。じゃそのmittensがどうかなっちゃう話?」→「(絵をぱらぱら見せ、物語の展開を自由に発言させる。筋に関係する発見は強調する。Pie、汚す、お母さんに叱られる、泣く、洗濯する)」→「ほんと、そんな感じの話らしいね。ここでよく一緒に読んでいこうか」
よく「大島先生はしつっこい」と、リードアラウド研究会会員に言われるが、褒め言葉に違いない。
子どもは、しつっこい。
同じことを何度も尋ねて来たり、ウケたことを何度も繰り返したり、同じ遊びをずっと続けたり。
子どもと波長を合わせるコツは、しつっこさだとも思う。
ということで、発問もしつっこく。
「早く教えたい」という欲求に禁欲的であれ。
リードアラウド指導者は執拗に(?)発問をし、それに対する子どもの応えを、Yes, and で繋いで、じりじり内容理解を深めさせる。
先日の講座で、この双方向型指導に関連することで、言及できなかったことがひとつある。
本を子どもたちと一緒に、声に出して読むときのやり方だ。
・既出、既読の語句は、指導者は一瞬遅れて読むこと。
例えば、three little kittens lost their mittens という文。
本書のタイトルはThree Little Kittensで、本文を一緒に読むというときは、もう既に何度も読ませた後だ。
そこで指導者は
「…three little kittens〜」と出だしを「…」と少し遅らせる。
よく遭遇するのは、張り切った指導者が引っ張って読ませる場面。
指導者がまっさきに声を出し、子どもを引っ張っていく。
そうしたときの子どもの記憶の引き出しは、締まったままだ。
しかし、ほんの一瞬でも指導者が遅れ空白の瞬間ができるだけで、子どもの頭の中では反射的に記憶の引き出しが引き出される。
張り切って子どものためと思って指導者がやることが、実は、子どもの学ぶ機会を奪っている。
だから、わたしはこういう場面に出会うと、胃が痛くなってしまう。
ときに、反射的に阻止しようとおっかない顔をして、一生懸命指導している研究会会員を睨みつけたりしてしまうのだ(すみません!)。
この「良心的後だし」も一種、一方向型指導だろう。
子どもや学ぶ人の学びの機会を奪う、一方向型指導、断固反対!
どうか、学ぶ人により多くの学ぶ機会を、そして挑戦を、双方向型指導を徹底させて実現してください。