リードアラウド「講評力」をつけよう~2015年沖縄戦没者追悼式スピーチを聴く

リードアラウド・ワークショップでは、2~3人のグループに分かれて、課題書をお互い朗読し合う時間がある。

1日のワークショップでこのワークは2回。
「駆けつけ」1回(予習の成果として発表)朗読したあと、その日のもろもろの研修を進める。
そして、最後の最後に、もう1回、この日の成果として読む。

このときに、大切にしているのが、グループで読み合った朗読に対する講評を、全員の前で共有すること。

表現上のどの要素が、どう変わったか。
この次までに、どこをどうしたら、よくなりそうか。
それぞれの講評を聞く。

リードアラウド・ワークショップでは、嬉しいことに、ペースは違うがみなさんが上達する。
それまでの殻を破れることも多い。

上達や殻を破れる秘訣のひとつ。
それが、この講評しあうワークではないだろうかと思う。

女性が多い場で、おまけに日本で、大人は、お世辞以外の自分への評価をなかなか聞く機会がない。
それは、ありがたい一面もあるが、「芸」のためにはよくない環境だ。

講評をし合っていくと、不思議なことに他人や自分の表現が、客観的に見えたり聞こえ始める。
…すべてが芸の肥やしになる感じ、世の中が違って見えてくる。

たとえば、毎年6月23日に行われる沖縄戦没者追悼式でのスピーチ。

これを聞いていても、政治は別の頭にまかせ、リードアラウドの「芸」を考える頭が、忙しく働き出す。

今年2015年は戦後70年でもあり、辺野古への基地移転反対運動の高まりもあって、注目されていた。
リードアラウド指導者として、スピーチするみなさんの表現を、今年もひとり「粛々と」聞いてみた。

追悼式では、平和の詩コンテスト1位になった子どもの、自作詩の朗読もある。
2013年のが強く記憶に刻まれている。

小1の詩、文も朗読もすばらしかった。

今年は、高校生だった。

うーむ。
自意識が発達した年頃で仕方ないが、ちょっと言葉がうわずって陶酔的なところが、美男美女の芸能人による朗読っぽい。
また、あがったせいか、棒読みのところが混在する。
指導者のせいもあるだろう。
その人が思い込んでいる「いい朗読」が、世間にままある陶酔的朗読だったのかもしれない。

自分の普段のピッチに下げ、型通りの感情表現ではなく、自分のものを語るように読む練習が必要だったかな。

政治家はどうだろう。

知事。
冷静で淡々とも聞こえるが、言うことは言うぞという決意が、ちゃんと語尾に現れ、しっかり聞き手に響く。
自分の言葉で語っている。
それが人々との距離が近い印象と、丁寧な印象を与え、好感を呼ぶ。


首相。
途中で飽きたか、不愉快になったのか。
言葉に込めるはずの感情が、すっとび始める。
「スラスラ」過ぎ。丁寧さや表現に欠ける読み下しだ。
言葉がなにも感情を乗せていないので、聞き手に響かない。
特に、心を痛めているとか自分の沖縄の戦没者に対する「頭を垂れる」といった文句には、気持ちを表すべきところで、空疎。

リードアラウドで培うもののひとつ、講評力。
これは、きっとリードアラウド指導だけでなく、人間力になるかも?!

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