億劫に(おっくう)と思う気持ち。いったいどこから湧いてくるのか。
実はすごく単純なことなのではないか。
子どもと50歳以上について、それぞれ考えてみた。
【子どもの億劫という気持ち】
リードアラウドを子どもたちとしてきて、気づいたことのひとつに、本を読む間、ちゃんと立っていられない子どもがいて、それが少なくないこと。そして立つことを「めんどうくさい」という…。
立つのを億劫がる、立たせてもぐにゃぐにゃする、すぐに座ろうとする、よりかかる。
何かというと「めんどうくさい」。
「若いのになんで?」
初めのうちはただ不思議だったが、そんな子どもたちの体を支えようと手出したとき、分かった。
筋肉がない!
柔らかすぎか、すぐに骨に届きそう。
筋肉がないから、ずるずる体が崩れやすい。疲れやすい。動かないでいたい。つまり、何をするのも億劫になる…。
鬱とか心の問題より先に、体の問題、筋肉の問題だろうと思う。
若者よ!
そしてパパ、ママ!
運動も「おけいこ」する時代だ。
運動系の「おけいこ」、小学生時代に大切かもしれない。体幹作りだ。筋肉つけよう。
【50歳以上の人の億劫という気持ち】
この春の経験。
普段たいていのことを、億劫と思うことが少ないわたしだが、久しぶりに風邪をひいて10日くらい「安静」にしていた。
日頃の筋トレもせず、階段も使わず、散歩もせず、横になるか部屋でぶらぶらしていた。
しばらくすると、回復期であるはずなのに、いろいろなことが「億劫」と思えてきた。
「こんなはずのじゃない」と、不安になる。でも、外に出るのもめんどうくさい。歩くのも大義だ。
一週間経って、
「えいや〜!」と体を動かし始めて驚いた。
ちょっと歩いて、すぐに座りたくなる。
立っていると、寄り掛かろうとする。
エレベーターがあれば乗りたい。
いつも早歩きする坂道が、長く苦しく遅歩きになる。
筋肉が落ちてしまったのだ。
体重が落ちたのはわかる。でも、体脂肪率が高くなっていたのにはゾッとした。
筋肉の減少と、億劫な気持ちの出現。相関関係がある?と、怪しんだ。
それから、徐々に運動量を増やした。
1ヶ月でどうにかなるかと思いきや、億劫気分はまだあって、やっと、階段がさほど嫌でなくなったのは、2ヶ月後。
遠回りして歩いたり、遠くのスーパーにも行く気も戻ってきた。
そして…、億劫と思う気持ちもいつの間にか消えていた。
そこで、この自分の例だけだが、言ってしまおう…
億劫な気持ちは筋肉現象が原因(のひとつ)!
もともと活動的な人に、ちょっとでも「億劫だな」という気持ちが芽生えたら、
筋肉の減少を疑ってみること。
そしてすぐに、階段を使い始めよう。
いつも立っていて平気なのに、「座りたいな」と思ったら、筋肉減少のサイン。
それから、しゃがんでから立ち上がるときに、「どっこいしょ」と言ってしまったら、筋肉減少を疑おう。
しゃがんだら、どこにもつかまらず上半身を揺らさず、能や狂言の踊り手のように、すっと立ち上がろう。
先日、お手本にすべき姿を見た。
88歳のマダム。ハイヒールを履いてタンゴを踊る人だ。
いっしょにコーヒーを飲んで長話をしている間、彼女は椅子に浅く腰掛け、背を椅子から話してぴんっと姿勢を保っていた。
体に対する心がけ、筋肉作りが大切なのだと、改めて思った。
老いも若きも、何事も億劫と感じない前向きの気持ちを持つには、筋肉が大切!