『The Little Fur Family』大人セミナーでリードアラウド~キッズブックス英語スクール

Margaret Wise Brown作の、実に可愛らしいお話を、大人セミナーで読み始めた。

本にはちゃんとfurもついている!
あかちゃんでなくても、なめたくなってしまう感じ。
ぜひ、衛生の意味でも自分の本として、新品を持ちたい。

練習の参考になる映像ふたつ。
どうぞ!

こんなかわいい曲にもなっていた。

 

オフィッシャルなビデオは見つからなかったが、この人のはいくつか見たなかで気持ちのいいリードアラウドだったので、ご紹介。

母語 vs. 英語〜リードアラウド研究会

英語教育で近頃目につく言葉「オールイングリッシュ」。

日本語を介さず教える、英語密度を濃くする授業で、100%良さそうだが、欠点もあると思う。
そんな、幾つかのことを考えてみる。

ひとつ。

生徒はもちろんのこと、慣れない先生も、使う英語が稚拙だったり冗漫になる傾向があって、隔靴掻痒。

授業のポイントが分かりにくかったり、無理やり英語にするので変な英語になることがあり。

 

教室での英語に慣れていない先生の場合、母語でもそうだが、言葉のキレが悪い。

一言または短文で言える事を、英語なら関係代名詞を使ったりの長文になったり、becauseがくっついたりの複文にして複雑にしてしまう。

 

「わからーん」

 

とネイティブの子に言われるような英語。日本の子には、もっと「わからん」のではないか。

 

もうひとつ。

読解をする場面で、母語でなら一言でわかる感情などが、英語では言葉を尽くさないとわからない。英英辞典の意味の解説のようで、わかったようでわからないような…。

母語で言われれば、または表現そのもので表せば、「なーんだ」と思う。

 

言葉を尽くして理解することは、時と場合で必要な過程だが、どんどん読んでいきたい時、物語に入り込んでいる時に、毎度毎度、この過程があると興が冷める。

また、読むスピードも落ちる。

読解の先の、感情とか表現の学習に進めない。

 

「オールイングリッシュ」授業に、こんな「欠点」も感じるが、

反対に、母語日本語をクラスで時と場合に応じて使うことにすると、

先生によっては、よかれと母語の「過干渉」をしてしまう。これまた、頭の痛い問題である。

日本語を使いすぎて、「親切」のつもりで、学習の阻害をしてしまうことも。

 

例えばこんなことがあった。

 

「Find a mouse with stripes」という本(『I Spy』)の指示があった。

子どもたちは「a mouse」を聞き取っただけで、ただのmouseを探し始める。

 

「with stripes」 と、英語で注意を喚起すべきなのに、

「しましま付きヨ!」

 

これで学習の機会1回がおじゃん。

これ、過干渉である。

 

 

 

また、もう一つ。

母語によるものではないが、過干渉の例として、ついでに挙げる。

 

「さあ、みんなで読もう」という場面。

ここで先生が、嬉々として率先して読んでしまうこと。

 

読み方を考え、解読しながら最初に声を出すべきは、生徒!

 

大切な学習の機会を先生が奪ってしまっているのに、気付こう。

 

先生の「おかげ」で、子どもは機械的に真似るだけ。脳の回路は省力化され、ここでも記憶の引っかかりがなくなってしまう。

 

一息待って、子どもにさせよう。

いろいろな過干渉にご注意。

 

 

 

(記憶のメカニズムについてをテーマにした、ディスニーアニメの「Inside Out」はオススメ)https://youtu.be/WIDYqBMFzfg

 

 

 

 

高校生生徒スピーチコンテスト快進撃中〜キッズブックス英語スクール

オンラインレッスンをしている高校生。

小学生時代はリードアラウドをしていて、今は近畿地方へ引っ越した生徒だ。

 

ただいま、スピーチコンテストで校内、市内と勝ち抜いて次は県大会のコンテスト出場決定と、快進撃中。

 

リードアラウドをしていたおかげ?
ーだろうか、口語部分のスピーチが抜群にうまい。

キャラの特徴が的確に表現されている。

 

今後の磨きどころとして、指摘したのは「感情」。

 

何度も練習しているうちに、気持ちが自分を離れてちょっと空々しく、よく「お上手」と素人さんに言われる朗読になってしまった部分の軌道修正だ。

 

こうくるか。

彼の朗読までこうなるとは、とても興味深い進展だった。

素直で無垢な、ちょっとつるんとした、自意識過剰には遠い若者なのに、

自然と「朗々とした自分の朗読」に酔うというか、

そんな気持ちを漂わせてしまう。

 

こうした朗読とか台詞は、「大人のいやらしさ」とか、「きもーい」、「サブイボが立つ」とか言われるもの。

昔、私が自分の朗読に酔った感じになった時、先生に指摘され、一生忘れないくらい恥じ入った種類のものだ。

 

今、その全貌がわかったような気がする。

 

「いやらしさ」とは考えず、朗読が上手くなる段階なのだ。

 

女優やアイドルの「朗読」「ナレーション」などは、この段階で止まっている。

これでよしとされてしまう環境があるので、惑わされる。

 

でも、よしとしないのが、リードアラウドだ。

 

慣れから、その読みが機械的に、いっしゅ脳の「自動運転」になる。

 

その「自動運転モード」を、もう一度、マニュアルに戻し、生の心の動きを思い出す。

 

そのための方法論がリードアラウドにはあるのである。
秘策を彼に伝授した。

さあて、次のレッスンまでにどうなっているかな。

『Go, Dog. Go!』予習用参考映像〜リードアラウド研究会

認定講座11月の課題書は、これ。

長く愛されてきた本だけあって、Seattle Children’s Theaterによって、ミュージカル化されていた。

本書のにぎにぎしさ、そこから醸されるどこか不条理な感じ、どう表されているか、ご参考に。

 

Salt Lake City Acting Companyのものはこちら。

また別のここでも。
セリフは見事に本書の本文のみ!

本書の面白さが、見えてきただろうか?

ピンクドッグとイエロードッグのキャラと、会話のニュアンスなどさすがです。

どうぞご参考に。

There is no substitute for real books…本物の本に代わるものはない〜キッズブックス英語スクール

今日は、この言葉に力をもらった。

絵本作家、Tomie DePaolaの言葉である;

 

There is no substitute for real books.  They are rarely boring or sanitized or squeezed into a “reading system” that children can smell a mile off.

 

(本物の本に代わるものはない。本物の本はまったくといっていいほど退屈なことはないし、きれいごとだけがフィルターにかけられていたり、子どもなら1マイル先から嗅ぎつける「リーディングの学習法」に押し込められていたりしないからだ)

 

So logic says if we want real readers we must give them real books; give our young people good literature, good art, and surprisingly, these young people may do the rest.

 

(よって理屈で言えば、本物の読者を望むなら、われわれは子どもたちに本物の本を与えなければならない。つまり、子どもたちに上質な文学や芸術を与えるのだ。そして驚くことに、そうすると子どもたちはその先のことをやるものだ)

 

少し解説を付け加える。

本物の絵本ならそれは本物の文学であり芸術である。

 

つまり、本物の絵本はそのまま書店に絵本の棚に並ぶもので、英語力のためにとか教えるためにかかれ、教材の棚に並ぶものではないということ。

 

そういった「勉強」ものは、子どもなら1キロでも1.6キロ先からでも、かぎ取ることができるものだ。