英語教育で近頃目につく言葉「オールイングリッシュ」。
日本語を介さず教える、英語密度を濃くする授業で、100%良さそうだが、欠点もあると思う。
そんな、幾つかのことを考えてみる。
ひとつ。
生徒はもちろんのこと、慣れない先生も、使う英語が稚拙だったり冗漫になる傾向があって、隔靴掻痒。
授業のポイントが分かりにくかったり、無理やり英語にするので変な英語になることがあり。
教室での英語に慣れていない先生の場合、母語でもそうだが、言葉のキレが悪い。
一言または短文で言える事を、英語なら関係代名詞を使ったりの長文になったり、becauseがくっついたりの複文にして複雑にしてしまう。
「わからーん」
とネイティブの子に言われるような英語。日本の子には、もっと「わからん」のではないか。
もうひとつ。
読解をする場面で、母語でなら一言でわかる感情などが、英語では言葉を尽くさないとわからない。英英辞典の意味の解説のようで、わかったようでわからないような…。
母語で言われれば、または表現そのもので表せば、「なーんだ」と思う。
言葉を尽くして理解することは、時と場合で必要な過程だが、どんどん読んでいきたい時、物語に入り込んでいる時に、毎度毎度、この過程があると興が冷める。
また、読むスピードも落ちる。
読解の先の、感情とか表現の学習に進めない。
「オールイングリッシュ」授業に、こんな「欠点」も感じるが、
反対に、母語日本語をクラスで時と場合に応じて使うことにすると、
先生によっては、よかれと母語の「過干渉」をしてしまう。これまた、頭の痛い問題である。
日本語を使いすぎて、「親切」のつもりで、学習の阻害をしてしまうことも。
例えばこんなことがあった。
「Find a mouse with stripes」という本(『I Spy』)の指示があった。
子どもたちは「a mouse」を聞き取っただけで、ただのmouseを探し始める。
「with stripes」 と、英語で注意を喚起すべきなのに、
「しましま付きヨ!」
これで学習の機会1回がおじゃん。
これ、過干渉である。
また、もう一つ。
母語によるものではないが、過干渉の例として、ついでに挙げる。
「さあ、みんなで読もう」という場面。
ここで先生が、嬉々として率先して読んでしまうこと。
読み方を考え、解読しながら最初に声を出すべきは、生徒!
大切な学習の機会を先生が奪ってしまっているのに、気付こう。
先生の「おかげ」で、子どもは機械的に真似るだけ。脳の回路は省力化され、ここでも記憶の引っかかりがなくなってしまう。
一息待って、子どもにさせよう。
いろいろな過干渉にご注意。
(記憶のメカニズムについてをテーマにした、ディスニーアニメの「Inside Out」はオススメ)https://youtu.be/WIDYqBMFzfg