今夏、アメリカでImprovisation(即興)ゲーム(シアターゲーム)のワークショップに1ヶ月通った。
印象的だったのが、まっさきにアイコンタクトをとることを学ぶこと。
そして、わたし以外の参加者(全員現地のアメリカ人)全員が、「アイコンタクトが相手と取れない場合にストレスを感じる」と述べたこと。
目を合わせようとする人と、それを避ける人という2グループに分かれて、ワークショップ会場中を歩き回るゲームをした。
その後の感想は、言い方は違っても、みんなエッセンスは同じ。
相手が視線を合わせてくれないと、不安になるなど、ストレスを感じるという。
そんな中でひとり、渋谷駅前の大交差点を、すいすいと人と目を合わせないで渡ることに長けた人間として、文化的衝撃を受けた。
英語の文化圏、少なくとも米国では、相手と目を合わせることから、コミュニケーションが始まるのだと、強く認識させられた。
そして帰国したら…、今度は逆に「目をじっと合わされるのは、ストレス!」と感じる文化圏のただ中。
休み明け最初の、子どもたちとの英語クラスがあった。
改めて観察すると、いやはや、目を合わせない。
英語だから、照れもあるだろう。
yesを言うのに、そっぽむいて「イェッスッ!」。
これじゃ、yesの意味は通じない。
相手をacceptする、という意思表示がアイコンタクトと「yes」のセットだ。
こりゃいかんと、さっそくシアターゲームの、アイコンタクトをとるゲームを実践してみた。
いろいろバリエーションはあるが、基本は、相手をアイコンタクトで定め、その人と一緒にclapする。
英語クラスだから、ということで、「Yes」という返事も、アイコンタクトとclapにつけた。
こんな単純なこと。
だが、あら不思議。
なんだか原始的な楽しさが湧いてきて、慣れていない人々同士も通じ合って、なにかを共有出来ているようで、気持ちがよく、親しみがわいてくるではないか。
大人までそんな気持ちになるから、凄い。
実際にやってみるまで半信半疑だったが、もう今はその効果を疑わない。
かなり投げやりに答えていた子どもが、「目を見て」の指示に従って、目をぎょろぎょろさせて相手の目を追って自分のと合わせたり、相手の目が泳いだりするのを、自分の目でとらえて面白がったり、目をふたりが合わせて、ただぴったり同時に手をたたけただけで大喜びしたり…。
もうひとつ、子どもが10数名のリードアラウドの会場でも試してみた。
アイコンタクトを隣同士で取らせると、集中するのと同時に、場やひとに慣れて、開放的になってきて、表現がより大きくできるようになった!
日本の英語学習者によくみられる、平坦な英語。
これも、恥ずかしさ等から、相手の目を見なかったり、ときには目をつぶって心を閉ざした状態で言うことも一因かもしれない。
シアターゲームは、アメリカでは特に想定していないが、日本の文化圏では、英語教育にかなり貢献するという予感がする。
今秋、指導者向けシアターゲーム・ワークショップを開催:くわしくは、こちら。