指導者の解釈を深めてこその、発問〜絵本リードアラウド認定講座第5回報告その2

盛夏のワークショップ!

お暑いところをお疲れ様でした。

今回は、夏らしい絵柄の『All the World』で、表現方法の他に、指導方法をみなさんと考えた。

 

具体的で身近な言葉と、子どもには少し抽象的な言葉が、交互に使われている本書。

指導者として「手抜き」をするなら、この本の場合は、文字面を逐語訳的に教え込んでおしまい。

ただし、リードアラウド指導でそれは許されない。

 

文字に書かれていない文脈、表層に見える「ものがたり」(ある一家の田園での夏休みの一日)の文脈だけでなく、「Hope and peace and love and trust 」「all the world」まで大きくなっている文脈についても触れたい。それをある程度わからせてこそ、この本の出版の意味、そしてコルディコットオナー賞受賞までした意味にまで触れることになるのだろう。

 

とはいえ、子どもに発言を促しながら分からせるのには、指導者が本をよく読んでいる必要がある。

問いかけには、主題や読解に導く伏線が欲しい。意味のない、「どうでもいい質問」は結果的に子どもを飽きさせる。

考えさせる質問をするためには、指導者があらかじめ考えておく必要があること、これを再確認してもらう時間でもあった。

 

シーンごとに担当を変え、模擬授業をしてもらった。

教壇に立ってその場で、意味のある問いかけをする。

それから、予期できない生徒の応えをまずは肯定しつつ、過不足があれば調整して、読解や理解に繋げる。

子どもの言語(具体的な言葉)に慣れていないと、特に本書の大きな文脈の指導は難しい。発問自体が、難解になってしまう。

 

簡単な言葉で、難しいことを説明する能力が必要とされる。

 

助け舟を出しつつ、どうにか一通り「指導」を終えた。

 

ほぼ「助け舟」で川を渡った人は、今回、どこで何を導きたくて、どんな問いかけをしたのか、反芻しておくことが大切だろう。

 

書き出してみるといい。

付箋に書き出して、本に貼っておくのも一手。

ぜひ!

 

配布した大島なりの授業計画も、参考にして欲しい。「ああ、これか」と本文と照らしてみて。

 

最後、Hope and peace and love and trust とあるところ、

そして

All the world is all of us.

この締めくくりも、どう問いかけたら小学生あたりが答えられるだろう。いくつか、忘れないうちにメモして貼っておくといい。

 

何本も描かれている水平方向の描線。この描線が何本も集まって、小さな地域社会を引っ張り上げて、大きな世界に繋げているような、不思議な力を感じる最終場面。指導者としては、主題に触れながら生徒の心も引っ張り上げて、大きな視野で見ることにも気づかせたいものだ。

 

リードアラウド認定講座第5回報告:朗読が上手くなる演習〜リードアラウド研究会

絵柄もよく、季節もぴったりということもあってか、今回の課題書『All the World』は、認定講師のみなさんの前評判が高かった。

 

文字は少ない。簡単な言葉だ。だが、言葉の描くイメージが、手元から天高く、大きな地球をも感じさせる大きさを持つ。

これを、文字面だけみて、「語彙を教える本」にしてしまったり、単語をきれいに発音するだけの「朗読」にしてしまっては、本に申し訳ない。

 

まずは、読解と分析をする。

思ってもみなかったことや、気づかなかったことが見えてくる。

特に、言葉が簡単なので、読むだけで、そこからイメージを立ち上がらせ、そこからの意味を測ることまで、「予習」していなかったりする。

いっしょに読解、分析したあと、演習をした。

その演習が、ことのほか、みなさんの表現を深めるのに効果的だった。

 

その演習とは…

本文に何度か挙げられた、イメージを喚起する単語の集まり、例えば Rock, stone, pebble, sand、

これらは簡単な単語で、すらすら(普通に)読んでしまうと、聞いている人に何のイメージも喚起しない。

その「すらすら読み」を豊かな表現ある読みにするのに考えた演習だ。

ペアになり、その単語のイメージをマイムする相方を見ながら、もうひとりは同じ単語を言う(読む)。これだけ。

Road, street, track, path というのもあった。

いくつも、関連づけて連ねられたこれらを、イメージを見ることで、読み手のなかで「単語」から言葉という有機的なもの、身体的なものに変換される、のだろう。

おみごと!

マイムとともに笑い声もあちこちで上がる、楽しい時間でもあったが、

みなさんの読む声が、それなりにイメージを浮き立たせるものになったのである。

予想以上のめざましい変化で、「これなんだ!」と、わたしにも発見だった。

 

ただし、このときできた表現の「回路」のようなものは、水泳や自転車乗りとは違って、一度できたからと、一生それが続くものではない。

濡れたら伸びてしまうスカートのひだのようなもの?

しょっちゅう、「アイロンがけ」が必要だ。

そうするうちに、くせがついてくる。勤勉にすれば、「パーマネントプレス」になると思う。

 

講座では見違えるようになったみなさんも、ペア練習はそうそうできるものではない。自習になるが、そのときはイメージ力で。

単語を「単語」として読むのではなく、それが意味するものを脳裏に思い浮かべ、それを見てから「言う」。

 

次回まで、どうぞこの練習を、ときどきはしてみて。

仕上がりを楽しみにしています。

次回は9月14日

 

歯擦音(sibilant)にしびれる#2〜リードアラウド研究会

おお!

Scott Walkerがよく比較されて「おそれおおい」と言っていたらしい、先輩、Frank Sinatraの若い頃の歌(いい年になって、ディーン・マーティンあたりとつるんでいた頃のは、真摯な感じがなくなっていて除外)。

この頃はいい。

これまた、美しいsibilant。しびらんと(註:しびれませんか)?

それからもうひとつ、breathのこと。

息継ぎを感じさせない、長いフレーズも一息で歌ってなめらかさを表現した、Sinatraさん。

そのために、若い頃から、たいへんな努力をしたという。

水泳、である。

息継ぎなしで泳ぐとか、その距離を伸ばすとか。一生懸命だったらしい。

後輩Scottは、それを聞き、自分は歩いているときに、たとえば1ブロックを息つぎなしで歩く、などを心がけたという。

歌手になるでもない、一介のリードアラウドの先生ではあるが、表現力は磨きたいものだ。

ワークショップでしたこともある、ストローをくわえての呼吸練習、ストローなしでもいいので、習慣にしませんか。

それから、美しい英語の発音のひとつ、sibilantも味わってみて。

歯擦音(sibilant)にしびれる~リードアラウド研究会

あるシンガー/アーティストに惚れ込んで、ここしばらくその彼のCDを、リードアラウドで鍛えた(?)耳で聞き込んでいて発見した。

一節の終わりというか、一息で歌った節の最後の語の

[s] [z] [ʃ] [ʒ]

の音が、やけにきれいで、耳に残るというか、胸を打つ。

 

たまたまの癖なのか。

彼の音楽に凝ったついでに、評伝も読んでいたら、あった、あった!

 

シンガーとして、息継ぎは決して録音で残さないように徹底させ、反対にsibilantを綺麗に入れることには大変なこだわりがあったという記述が。

 

そうだ、息継ぎがまったく聞こえないのも、これで納得。これも歌を洗練させている。

彼の歌で、彼がこだわった印象的に残る音のことを、sibilant(歯擦音)

と呼ぶ。

これは、不勉強ながら初耳だった。

 

ああでも、その音の澄んだ感じ、真心のような空気と言ったら…。魅了されてしまう。

 

一般的に、sibilantをどう作るかといえば

「舌を使って狭めを作ることによって速い気流を生じさせ、その気流を歯の裏などに当てることによって強い噪音を発するもの」

と、こうwikiには書いてある。

こう言われると、口のなかで舌がもつれそうで、とうてい再現不可能のような気がしてくるが、まあ [s] [z] [ʃ] [ʒ]を作るときの歯と舌の作る音だ、といわれれば、似た音は出せる。

 

ぜひスローな曲で、sibilantのお手本を聞いてみて。

この技術は、朗読でも生かせるものなんだろうか。

 

ちなみに、このシンガー(Scott Walker)が、もう一声をデュエットでかぶせるときには、sibilantを発音するのはリードだけ。声がキーンと綺麗に聞こえるように、ダブらせていないようだ。

プロの仕事、本当に尊敬する。

 

 

夏だ、ライブに行こう!~リードアラウド研究会

 

英語絵本のリードアラウドを、絵本を読んだり読ませたり、英語と本を楽しませるパフォーマンスと考えると指導者には、なんでもいいのだが幅広く生の芸、ライブ会場に足を運ぶことがいい刺激になる。

「ビデオを見ればいい」「臨場感を伝えるレビューを読めばことたりる」「本で学べる」という人もいるが、リアルだけが伝えられるものが絶対にあると思う。

 

リードアラウドの指導者向け講座も、オンラインのレッスンがある。同時に対面しているライブはライブだがネット上であって、生身ではない。

やはりリアル講座にはオンラインでは得られない学びがありました

という感想を、わざわざ遠方から「生」に足を運んでくれた受講生からいただきもする。

 

頻繁でなくても、たまに、特に行き詰まっているときなど、「生」がいい刺激になる。

 

そんな、リードアラウド指導者にオススメのライブ。

どこがどういいのか、といえば…

 

まず、その演者の息遣い、熱量、その周辺の空気を感じられることがある。

ちょっとした戸惑い(のようなもの)や、安堵やときに不安などが目に現れる。言葉の端にあらわれることも。それが、どういうところでだったか。どうしたかったのだろうか。自分の思考が始まったりする。

それから、会場に放出される熱量を感じること。いったいどのくらいなのか。ライブなら、肌に、耳に、目に伝わってくる。

声の強さ、息継ぎ、演者の汗も。

また、姿勢、動きなど、自分の目のカメラで見るから等身大だ。

 

ライブがいい(上手い)と言われる演者のものを経験することは、特に刺激的だ。

舞台に立つと、彼らは最初になにをするのか。

 

「元気かい?」

「ロックするき満々かい?」

「今を楽しんでいる?」

問いかけ、返事をさせる。観客に、参加させるのだ。

観客が消極的なら、もう何度か、返事の声が大きくなるまで声をかける。

どこまで「しつっこく」するのか。

うまい人は、そのぎりぎりの読みがうまい。

また、こういう呼びかけは冒頭だけでなく、途中、ちょうどいい楽曲を挟んで、何度か繰り返される。

 

運びにメリハリをつけるのがうまい。

元気に盛り上げたら、しんみりバラードを挟む。

アップテンポからスローへ、そしてまたアップテンポへ。

観客が長いと感じそうになる頃には、会場に「イエイ、イエイ、エー」や、サビの部分など簡単なフレーズをふって、歌に参加させもう一度、一体感を作る。

 

会場の四方全部を巻き込む努力をしているのにも、感心する。

客席後方にいる観客が静かだと感じると、

「そっちのほう、ノッてるかい?」

「両手をふって答えてよ、ノッてるかい?」

声が届かない観客にも、手を挙げさせたり降らせたり、できることで参加させる。(そういえば、ハーバード大学の倫理学人気教授の5000人規模の公開授業のときにも似ている)

演者自身も体で多くのサインを出す。

リフレーンのところ、ファンキーな音にみんなの体が揺れていると感じたら、高々と指を1本上げて、繰り返しを示す。

方々を指で指す。拳骨にする。広げる。手、指の先まで観客に向けて働かせる。

体を左右だけでなく、上下させる。

しゃがむ。寝転ぶ。右に寄る。左に寄る。

両腕も泳ぐように動く。

こうして、見えにくい席の観客にも、よく見える瞬間がときどき訪れる。

観客は、まるで赤ちゃんだ。

あやされて、退屈ということがなくなる。

 

衣装も、わかりやすい。簡単に言えば、遠くからもわかりやすく、派手だ。

たとえば、先日見たキーボード奏者。

60代には見える「年配」だったが、白髪に映える素敵な貴公子のような帽子と紫のジャケット。

中年にさしかかっている男性リードシンガーは、肌を見せる黒のひらひらブラウス。

ジャズのライブでは、サックス奏者のバンドマスターは金色のスニーカーがcoolだった。

ショービジネスだから、という理由もあるが、先生でも品格を保ちつつも、それなりに「花」が必要と思う。

それは決して過剰なる自意識からくるものではなく、観客(生徒)をより集中させ、先生の元気さ、エネルギーを象徴的に示すことである。

同時に、ちょっとは観客の目を楽しませようというサービス精神か。

 

さあ、屋内派のみなさん。

この夏、またはいつでも、ライブに行ってみよう。