絵本リードアラウド認定講師講座第六回報告:その1〜リードアラウド研究会

リードアラウド史上、一番二番を争う「多弁」な本が課題だった。

まずは、出席者の予習での努力に敬意を表したい。みなさんは、間違いなく今、一段階上のステージに立っている。素晴らしい!

みなさんは、読み間違え、読み落としはほぼゼロ、せいぜい、つっかかりが少々残るだけの仕上がりに仕上げてあって、まあ期待通りではあるが、その期待値が高かったのにクリアしていたのは見事。

さて、プロはここから、磨くのである。

比較的簡単に朗読に深みや立体感を与えられるvocal variableは、pitch。声の高低だ。自習していると声域が狭くなる傾向がある。

そこでhighはhigherに、lowはlowerに少しでも広げること。そして高中低のブレンドをもうすこし変化に飛んだものにすること。

目標は文意や解釈に即した高、中、低音が心地よくまじった文だ。そのときの低音は、あくびゆで卵発声を思い出し、深く響かせるようにする。

それからもう一つ。

ナレーションとthe Grinchの区別が全般的に物足りない。もっとくりっと両者に差を出すためにも、pitchを変える、volumeを変える、台詞の直前に短い間を入れるなどの、工夫が欲しい。

ナレーターがいる空間と、the Grinchがいる空間は別物だ。違う空気感とでもいうものを、息、発声を駆使して表現して欲しい。

次回までの課題は、グリンチの台詞の際立たせ方か。(つづく)

語数の多い英語絵本の予習〜リードアラウド研究会

あと数日に迫った認定講師講座第六回、課題書は語数がこれまでの最大級の『How the Grinch Stole Christmas!』だ。

最初はただただ読むこと、と先日のブログに書いた。あれから読み続けていたら、今頃は、気になる語彙が出て、それだけでなく、だんだんともっと気になって気になって仕方なくなって来たのではないだろうか。

なんども読んでいるうちに、内容が頭に入ってくるのだが、少し不案内な単語があると、そこで読むのをつっかえたり、表現がなくなったり、間があいたり…心あたりはないだろうか。

たとえば、he snarled with a sneer. (p.15)とあって、読めるが今ひとつ表現が決まらない。その直前のthe Grinchの台詞は、sneerを浮かべてsnarlしたいのだが、どうするのか迷う。sneerがどういう笑みなのか、トゲトゲしくというsnarlはその笑みを浮かべながらどう言ったものか。

実際に「あのときのあれだ」と思い当たる英語での経験がないと、身体がついてこない。そこで、頭で想像して作らないといけない。これが難しい。でも重要だ。読み手があやふやだと、絶対に聞き手には意味が伝わらないのだ。

こういう個々人の不案内な語彙を、しらみつぶしにつぶしていくのが、予習の第二歩だと思う。

おそらく、この辺でみなさんは時間切れかな?

15日を楽しみにしています!

認定講座の課題書予習法~リードアラウド研究会

9月のリードアラウド認定講師講座の課題書は、ちょっと文の量が多いコレ!

早くもクリスマス準備である。本書は英語圏で「クリスマスと言えば…」とすぐに挙げられる大ロングセラー。だけれど、凝った英語のrhymingが満載の原書の楽しさが、翻訳では伝わらないようだ。日本での知名度や読まれる機会はあまり高くない。

日本人の、いくら英語ができる人でも、本書の味をうまく伝えるのには、ちょっと骨が折れるかも知れない。英語がうまくこなれていないのに、おまけに英語の初級者である子どもたちに読み聞かせても、よさが伝わらないだろう。

そんな、おもいっきりチャレンジングな絵本を選んでみた。この本、どう練習しようか。

昨年度の講座に参加していたベテランは、『Crow Boy』を思い出して欲しい。あの努力だ!あれができたのだから、これもできるはず。

ベテランだろうが新人だろうが、まずは、ただ読む。表現のまずさなど気にせず、まず読む。最初から最後まで、集中力とdecoding力がこれで養われる。間違わずに読むこと(decoding)は、プロとして最低限の矜持。何度も読むにつれ、苦手な語がこなれて自分のものになっていくのを経験的に知っている。

愚直に、だまされたと思って今日から毎日1回でいいので通しで読もう。1週間も経つと、自然に次の段階が見えてくるものだ。

その頃に、また次の練習方法をお知らせしようと思う。

表現と身体の関係:認定講師講座8月報告その2~リードアラウド研究会

8月の半ば、土、日と連日で、認定講座を開講した。

ベテラン揃いの年間コースが土曜日、翌日は新人の多い一日講座だった。

「アクティビティ」、「シアターゲーム」などでの表現演習を多めにしたプログラムという構成は前日と共通だった。この一日講座、課題書は永遠の名作『Where the Wild Things Are』。

朗読をしょっぱなにひとりずつ披露してもらうが、いつもながらに驚くのは、その仕上がり具合。とても完成度が高い。「before」がそんなで、講座の最後に披露してもらう「after」との差(上達度)がはっきりつかないとか、講座の「効果」が分かりにくくなってしまうのではないか、という主宰者側の懸念もある。

しかし、わたしにはそれがとても刺激的、チャレンジング!こんな上手な方々に3時間でどこまで磨きをかけられるか?


ああ、よかった!この日も、仕上がりは上々だった。

それは、シアターゲームやアクティビティという身体を使った表現演習に負うところが大きい。

一番変化がわかりやすかったのが、本の登場人物の声。主人公のMax、その母、wild things、ナレーター、大まかに言えばこの4種を、声の要素であるpitch(高低)、rate(緩急)の組み合わせで、別々の声に聞こえるようになったこと。

頭のなかで「こうすべき」と考えるだけでなく、実際に喉と口と身体を使って、声の高低を変え、早く読んだりテープの遅回しのように非常にゆっくり読んだりの緩急の練習のおかげだ。

聴衆には、これだけでも物語が非常にわかりやすくなる。

演習は基本的なものだが、効果は抜群だ。ただ、時間を経るとまた少し単調、平坦に戻るので、朗読前に今回の演習をすると効果が復活する。

もうひとつ、これは参加者がどの程度自覚できたかわからないが、Animal Walkという一見「ふざけている」と見えるかも知れないシアターゲームの、効果が絶大だった。

animalsの代わりに、この日はwild thingsをイメージして、実際に巨体を揺らし吠えまくり、歯をむき、目をぎょろつかせながら部屋中を歩き回るというもの。それを見ながら該当部分を読み手が読み、歩くほうもそれを聞きながらさらに感じを出して歩く。

随分とエネルギーを使わせてしまったが、朗読への効果という見返りは大きいだろう。上っ面ではない、動作や形態をイメージさせるroarだったりrollだったり、clawsだったりになったのだ。これが聴衆にはたまらない。楽しくなるのだ。

豊かな表現には読解も欠かせないが、机上で理解するだけでは出せるものではない。身体的な演習も必須だ。このことが、この日、文字通り身にしみたかも知れない。

「音読が複合知覚力を励起する」〜リードアラウド研究会

評論家で語学にも秀でた佐藤優さんの書評を読んだ。

その松岡正隆著『本から本へ』の書評からの孫引きだが、音読と黙読の関係を語っている。

佐藤優さんがこう書く。

音読の重要性は、子どもを対象とした絵本の読み解きに限定されない。大人にとっても、知的訓練としてとても重要なのだ。

 

そして、少々長くなるが、佐藤さんは松岡の次の文を引いている。

 

ひるがえって、そもそも認識(IN)と表現(OUT)とは、そのしくみがまったく異なる知的行為になっている。

「INするしくみ」と「OUTするしくみ」とはそうとうに異なっている。そのため、いろいろのことを見聞きし、いろいろ体験したことがいくら充実したものであっても、それをいざ再生しようとすると、まったく別の困難に出会ってしまう。

アタマの中のスピーチバルーン(吹き出し)に浮かんだ実感や感想をいざ言葉や絵にしてみようとすると、どうもその感想どおりではなくなってしまうのだ。

その別々のしくみになってしまっている認識INと表現OUTを、あえて擬似的にであれ、なんとかつなげて同時に感得してみようとするとき、ひとつには音読が、もうひとつには筆写が有効になってくる。

なぜ有効なのかといえば、おそらく音読行為や筆写行為が千年にわたってINとOUTの同時性を形成してきたからだ。音読や筆写をしてみると、その千年のミームともいうべきがうっすらと蘇るからなのだ

(ミームmeme :個々の文化の情報をもち、模倣を通じてヒトの脳から脳へ伝達される仮想の遺伝子)

 

この中の

別々のしくみになってしまっている認識INと表現OUTを、あえて擬似的にであれ、なんとかつなげて同時に感得してみようとするとき、ひとつには音読が〜有効になってくる」

というところで、「YES!」とわたしの中でカンカンカンと鐘が鳴り響いたのである。

人類はみな長く「声による言葉」や「耳による学習」をする社会を経験してから、多くは文字を使いそれを黙読する社会へと変遷してきた。

語学の習得というのは、この人類の長い経験を個人の人生で経験し直すことにたとえられそうだ。

そこで、音読とは。

声に出し【OUT】、それが自分の耳に届いて【IN】することで、普段は表現【OUT】と認識【IN】という別々のしくみを繋げ、感じ取るのを可能に方法。

もしかしたら、音読するたびに、実は人類が言語を獲得してきた道筋が瞬間的に浮かび上がっている…ブルル。

 

ここで並行して論じられている「筆写」はさておき、

「音読することが複合知覚力ともいうべきを励起させている」かどうか、自分の日頃の経験的には「YES!」なのだが、科学的な研究成果は待たれるところだ。

(上っ面だけの読んだつもりだが)この論を読んで、深遠なる科学、人類の歴史の淵を見下ろしたみたいな錯覚に陥って、震える。