絵本リードアラウド認定講師講座第9回その1〜リードアラウド研究会

早いもので、今年度の最後の認定講師講座。課題書は『The Book With No Pictures』。古典的な名作もいいが、いまの子どもたちに支持されている新作にも挑戦するのがリードアラウドだ。

聴衆である子どもとのやりとりも挟み、読んでいる大人がこの絵のない絵本の「約束」に翻弄されていく。その様を演じるように読みたい。こうでもかと読むに困ることが書かれた「表」の文章と、読まされた大人の本音を書き起こしたような「裏」の文章で成り立っている。

ただお行儀よく読んでいては、面白さが表現できない。まずは、普段からお行儀のいいみなさんの「筋肉」をほぐすのが大切だ。ふた通りの読み方に差をつけるために、volume controlも重要。この二点に表現演習の重点を置いた。

「Ha-ha-ha」と息が続くまで大笑いを続けたり、ペアで距離を変えながら動いて声を送り合ったり。感情をいろいろ変えて「Hello」の声を送る。また、3メートルほど離れた相手に向かって一節を大声で読む。

体を使い、腹から声を出し、感情を表に、とくに相手に向かって出す演習。感情の解放をする演習は、あとの朗読に一番の効果を生んだようだ。

みなさんの思いきりがよくなった。台詞の途中ではなく頭から、感情や声がこれまでよりガツンと出る。この「頭から」が重要。聞いている子どもに、いいショックを与えられるのだ。

「いい大人がとんでもないヘンな声を出す」ところにも、本書の面白さがある。そのためには、しずしず読むおしとやかさは邪魔だ。

 

感情の解放の要となるのが、多用されている擬声語の部分だ。ここは、子どもとのアクティビティにもなるゲームで、一石二鳥の演習をした。

「BLORK」だの「BLUURF」。

まじめな大人をおちょくる音だ。演習前、たいていのみなさんは、音の原始的な面白さを楽しんでいるように見えなかった。ところが、「sound circle」ゲームのあとでは、かなりリラックスして楽しそうだった。

「Tongue Twisters」も効果的だ。意味のない語の連続(gibberish)のある部分は、早口にするとより面白い。練習して、口の快感も体感してもらった。

 

最後にひとりずつ行った朗読では、少し疲れが見えたものの、子どもの笑いもいただけそうなかなり楽しい仕上がりに。

最近めきめき力をつけたHさん。意外にも本書がぴったり。「いい大人がとんでもないヘンな声を出す」効果が抜群だった。「あまりよくない大人」風のわたしなどより、ずっと効果的な朗読か。ざぶとん二枚。

The Book with No Pictures

(つづく)

リードアラウド、耳も肥え講評力も〜リードアラウド研究会

「声に出して読む英語絵本」というリードアラウドの講座を、カルチャーセンターで開講しておよそ2年。ずっと受講して下さっている方々は、自身の朗読が上達しているのはもちろんのこと、もうひとつ、朗読の良し悪しが講評できるほど、耳が肥えてきていることに驚嘆する。

先日、講座に体験生が一人入った。課題書の前半は、前回のレッスンでじっくり演習済みなので、さらりと復習程度だけ。後半がこの日の山場、この部分については体験生もほかの受講生と同じように、感情の解放演習や、感情を言葉に自動的に乗せる練習などをこなした。

最後に、グループに分かれて通読して講評をし合う。そこで体験生の朗読に「先輩」受講者がこう講評した。「今日いっしょに練習した後半と、彼女はやっていない前半の読みが、くっきり違います。一緒に練習した感情表現が、後半の言葉には乗って、臨場感がある読みになってきました。でも、前半はそうではなく平坦。レッスンをしたところとしていないところの差がはっきり出てていました」。

「ははあ」、まさにそのとおり。わたしの出る幕はなし。他の受講生もふんふんとうなずき、体験生はキラキラ。大人でも褒められると、とても嬉しいものだ。講評への賛辞ももちろん忘れなかった。

「なんか違うな」と気づく耳を持つだけでも素晴らしいが、その違いが何なのか、なぜなのか指摘して、具体的に褒める。かつ、今後の目標、体験生の場合は課題書の前半も感情表現を考えて言葉に乗せる練習をすること、も示唆することがいい講評だろう。

講評をし合い高め合うことを、リードアラウドではとても大切にしている。



2018年冬の発表会練習風景~キッズブックス英語スクール

絵本のリードアラウドで学ぶ英語スクールで、年に2回ある発表会は「肝」だ。

それまでにリードアラウドして、ひとまず「終了」とし棚に入れた本から何冊か選び、発表会でお客さまを前にプレゼンテーションする。

英語学習では反復練習が大切なのは知っていても、ひとはすぐに飽きる。特に子どもはまだ、英語学習の動機付けができていないから、大人以上に飽きっぽい。発表会を設けることで、終わったつもりになっている本を、もう一度読ませるきっかけ作りができる。

先日は12月22日の冬の発表会前最後の土曜日だった。合同練習もしたが、そこではクラス別では見られない相乗効果が期待できる。合同だと、いつもは一緒ではないクラスにちょっといいところを見せようという気になるのかもしれない。また読み合いの組み合わせに新鮮味が感じられるようで、いい緊張感が生まれる。それから、ただ席に座って読むのと、仮でも舞台に立って読むと、プレゼンテーションという意識が多少だが出て、読み方がなぜかちゃんと外向きになる。

5歳の生徒が(暗記ではあるが)すらすら台詞を読むと、ペアの小1の顔に「うまく読んでみせる」という意地?のようなものが浮かぶ。これは、発表会までに「化ける」、いい動機付けのひとつ。期待が膨らむ…。

「特別出演」と称して、上級の小学生クラスのひとりが親子クラスに混じって読んだ。「ちょろい」と油断していた上級生は、ところどころでちょっとつまずいた。そこで、自衛のためか、おふざけモードにして、上級生としてのプライドを守ろうとした。練習する動機付けになれば、いいプライドだ。

舞台に立つとどうしても声が小さくなる子どもたちがいる。グループ別の練習で、廊下に出て練習した。するとなんと、轟く声がしてきたではないか。出せば出せる、という経験が本番で生きる。できなくてもいい。でも、できることを知っているので、大声がでるかもしれない。

司会を小学生クラスに振り分けた。これまたプレゼンテーションの練習だが、リードアラウドを始めて日が浅い生徒に、「暗記はしないでいいから」とハンディをつけた。なのに、自分で暗記を試みてきた。その気概!クラスにいい影響があるはずだ。

スクールの発表会では、練習はしっかりするが、発表会そのものは、きちきちに進行や演出せず、いつでも即興で「どうにかする」「どうにかなる」とゆるゆるの雰囲気でやっている。反復練習、そしてそれをする動機付けのための発表会だ。練習は積んでほしいが、本番でのハプニングは恐れずに。リラックスしたい。

みんなで、楽しもう!

No Mendokusai!~キッズブックス英語スクール

ここ最近のわたしは、英語の力がある程度の高みまで達している人たちとの交流があります。また、英語圏で暮らす日本人との接点もたくさんありました。日本で英語を学んでいる子どもたちも多く見てきました。自分もいい年になり、これら現在や過去、日本や外国など時空を超えて、日本人の英語の習得について少しばかり鳥瞰することができるようになった気がします。

近頃思うのは、英語の習得のキーワード(キーフレーズ?)は、「面倒くさい」かも?今風に言うと「めんどくさっ」かもしれない、ということ。

大人になっても英語力が伸び続け、かなりのところまで来ている前述のような人たちの英語を学ぶ姿勢には、ある特徴が見られます。

面倒くさがらない。

カルチャーセンター、私塾、高齢者施設でのレッスン…それらの参加者の口から、英語学習に対して「面倒くさい」の台詞が出たという記憶はありません。

しかし、英語圏にいながら英語が苦手、現地の英語新聞や本やTVを情報収集や娯楽として使わない(使えない)日本人をたくさん知っていました。たいてい現地の人々との交流や英語が「面倒くさい」と言っていました。

公立小学校で英語絵本を子どもたちと一緒に読む機会が、何年か継続的にありました。そこでは「めんどくさ〜い」を何度も聞きました。現在教えている私塾の小学生の中でも、力はあるのに「めんどくさっ」と口癖のように言わずにいられないような子をみることがあります。

中学生、高校生、大学生と教えてきて、もともとは同じ程度の力だったのに、ある生徒はある時から二足三足飛びで階段を駆け上っていき、他は足踏みをする。後者の生徒の口癖は、・・・「めんどくさい」、前者の生徒たちからは決して聞かれない台詞でした。

「面倒くさい」は、ただの口癖と考える人もいるでしょう。でも、それが学ぶ姿勢を端的に表してしまうかもしれない。そう言い続けることで、台詞自体が間違ったマントラの役目をして、英語習得への道を外すことに力を貸してしまうかもしれない。そんな気がしてきています。

せっかくまだ時間がたっぷりある小、中、高校生の皆さんは特に、この間違ったマントラ「面倒くさい」を自ら唱えませんよう。唱えて、英語の頂に向かう道から逸れませんよう。

天才を除く一般人の、英語習得の王道は、実に面倒くさい道です。「めんどくさ」の台詞は、この王道を避ける誘引力になると思います。口癖でもちょっと怖い。小、中、高校生、大学生の口からは聞きたくないなあ。

NO MENDOKUSAI! で行きましょうよ。

リードアラウド認定講師講座第8回報告その2 『We Found a Hat』指導編〜リードアラウド研究会

これまで何度か書いたが、先生というもの、そして大人というもの、子どもを前にするとすぐに「親心」で教えたくなってしまうもののようだ。リードアラウドではその「親心」を封印して、子どもへの発問とそれに対する応えで指導する。

今回は、模擬授業に時間を多めに使い、私の代わりに参加者同士で問いかけあうことで、模擬授業と読解を同時に進めてみた。先生役が読解を深める質問を考え、生徒役のその他のみんなに投げかける。質問を考えながら気づくのは、自分がよく本を読み内容について考えていないと、いい質問ができないこと。

自身が、テーマを多角的に理解しそれを子どもの思考に「翻訳」して尋ねる。5W1Hの質問や、Yes/Noで答える質問を混ぜ、応えに応じて本を読み進める。

今回たとえば「このカメは〇〇しているけれど、どうしてかな?」と尋ねた人。この一見良さそうな質問、でもNG。

ふたつの質問「このカメは何をしているのかな」それから「どうしてそうしているのかな?」というせっかくのふたつの質問を一つにしてしまっている。もったいない。「どうして?」はわからなくても「何をしているの?」という事実関係には答えやすい子どもがいたかもしれない。一人の子の答える機会を奪ってしまったのかも!

また「これ、怪しいね」と感想のようなものを先生が自分で漏らしてしまうことも、子どもには残念に違いない。「この目つき、どう思う?」と質問を投げかければ、「怪しい」などと気楽に答える子もいただろう。もしかしたら、「怪しい」なんて陳腐と思わせる、本質をもっとぐさりと突くすごいことを言ってくれるかもしれない。その機会をわたしたち自らが潰してしまってはいけないだろう。

それからもう一つ、この日も見受けられたのは、子どもに尋ねたのはいいが、子どもの応えを無意識に無視すること。見えなかった、聞こえなかった、という理由があるかもしれない。ならば、もっと注意を向けること。また「無視された」子は表情を微妙に変えている。そこでも取りこぼしを拾える。気づかなかったこと、コメントしなかったことを「すまない」と思うように。あまり気にしない子どももいるだろうが、気にする子はかなり気にする。実は子どもの権利としては、気にすべきことなのかもしれない。やる気にも関わってくる。先生たるもの、子どものやる気を削ぎたくはないはずだ。

今回のような子どもへの発問と応えの演習が、私たちの子どもへの「説明グセ」を治す役に立つか、様子を見てみたい。

We Found a Hat