驚いた。
あっという間に、みなさんのどこか心にひっかからない読みが、心にぐぐっと語りかけてくるものになった!
一番驚いていたのは、本講座受講生のみなさんだった。
「全然読み方が違う!」
秋学期の初日で、この『My Many Colored Days』でだった。
本作、Dr. Seussの作品としては異色で、彼自身がイラストを手がけず「色のアーティスト」と定評のあるイラストレーターに作画を委ねた、特別な作品だ。
自分の中のいろいろな違う感情というものに戸惑う子どもや若者に、感情というものはいろいろあっていいんだ。様々な感情を持ち合わせているのが、自分というものなんだ、と説き、感情の作る「色彩」の美しさを愛でているような内容になっている。
その本の「序」の部分、
Some days are yellow
と、始まる。大切な冒頭だ。Some daysの一言の言い方で一瞬にして、人心を放すことも掴むこともできる部分だ。
みなさんに一読、そして二読してもらう。どうも、ピンとこない。心が掴まれない。
さあ、そこからどう磨くか。
このところ、「絵本リードアラウド認定講座」でも手応えを感じているある方法を、ここでもとってみた結果が、冒頭に書いたような、みなさんの驚きを読んだのであった。
それは、コロンブスの卵的な演習。
聴衆に訴えない読みは、聴衆の「どういう話なの?」という心の問いかけに答えていない読みなんだろう。
だから、「問いかけ」を実際にしてそれに答える形で読んでいったらどうなんだ?—と、わたしが自分用に始めてみた演習方法だ。
パートナーでもいいが、手短な要領を得た問いかけが必要なので、この日はまずは講師のわたしが、読み手ひとりひとりに以下のような感じで問いかけ、それに答えるように読み手が読むことにした。
例えば今日の演習では、こんな感じ。
問い「いつのこと?」
本文を読む「Some days」
問い「それがどうなの?」
本文を読む「are yellow」
問い「黄色だけ?」
本文を読む「Some are blue」
・・・こんな風。
それだけなのに、あら不思議。
英文、つまり本文が、まったく違う響きを持ち始めた。人間の脳の不思議さ!
聞いている人がいると認知すると、文を読んでいるにもかかわらず、口調は応答する、語りかけているようになるのだ。
人は、具体的にそこにいる相手に問いかけられれば、いくらぶっきらぼうな人でも、その相手に向かって答える。その息遣いというか、距離感というものかが、相手がいないと宙に向かって言うような、対象のない空疎な読みになってしまうようなのだ。
この日の自分の「語るような読み」は記憶され、今後のみなさんの朗読は変わっていくだろう。(ただし、水泳や自転車乗りと違って、一度できたからと一生できるわけではないこと、お忘れなく!)