子どもの想定外の反応への、指導者としての反射神経

リードアラウドはただ読むのではなく、子どもたちに本の解釈に基づいて表現を工夫させながら読む。

先日は、絵本の主人公である動物2匹の性格などプロファイルを、クラスでディスカッションした。
あーだ、こーだと自由に発言させるなかから、共通項を導き出したり、いくつかのタイプをあぶりだしていく。

生徒が挙げるたいていの内容は想定内で、それらをうまく表現へと繋げて行けるのだが、その日は、突然に想定外のコメントが。

「この子って、貧乏人みたい」

はっと、言葉に詰まる。
「えっ?」
ととっさに、聞きにくかったようなふりをした、わたしの受け答えに、生徒は発言の不適切さを感じて、うやむやにしてくれはしなかった。
無邪気に、というには多少、毒を含んだ言い方で、発言を繰り返した。

「そうかな?」のようなことを、わたしは言ったかも知れない。
幸い、その他に発言したい生徒がたくさんいたおかげで、その意見は何となく聞き流した感じになった。

しかし、ずっと心に引っかかっている。
その生徒にとって、他の人々と共有しにくい受け取り方や、不適切な語彙に気付ける、またとない機会だったのに、指導者としてそこにいたわたしは何もしなかった。

英語の指導者として教壇に立っているのだから、英語と直接関係のない分野の指導はしなくてもいいのかも知れない。
だが、しかし、先生と呼ばれる立場だ。
まだまだ、その中身が出来ていないってことだ。

そろそろ、生徒の想定外の意見や反応に、確かな見解を反射的に出せてもいい頃だ……。

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