下手なピアノを楽譜みいみい弾いていて、思った。
音符で書かれた曲を、ピアノを弾くことで音にするのと、文字で書かれた本を、声に出して読むことは、同じだなと。
まずは楽譜や文字という書かれた「記号」を、解読して音にする。
少し違うのは、音符は万国「共通語」だが、文字は様々な言語で書かれていること。
最近になってやっと一曲だけ、つっかえながらも弾けるようになったピアノ曲がある。
そのたどたどしい自分の演奏を録音し、再生して聞いていたら、リードアラウドのレッスンで私が皆さんに言っている声が自分に向かって返ってきた(気がした)。
「読めるだけじゃダメ。そこに作品を解釈してわいてくる気持ちを乗せなきゃ」。
その演奏は、楽譜がやっと音になっただけのもの。おまけにそんなに正確ではないときた。
なーに、これ。
と笑ってしまう演奏だ。
それでも大甘に言えば、スタートラインに立ったということか。
そしてそこに、分厚い壁が見えた。
ここから、音楽の「表現」が始まるらしい。
ほぼ楽譜通りに弾けたら、それだけで「合格」にしてくれそうな若いピアノの先生。「55年遅れてきた生徒」(私)を(シニア)特別枠で見てくれている。
ピアノ「劣等生」の私には、今リードアラウドで、自分が皆さんに言っている言葉が全部返ってくる……。
2006年ライブthe Danish National Concert Orchestra and choir とオリジナル作曲者、Procol HarumのGary Brookerの歌唱版:ストリングスが美しく奏で、そのあとに心をえぐられるような渋い「おやじ」の悔し泣き。
Joe Cocker 版:飲んだくれの海賊の失恋の悲しみ、のような解釈。