『Where the Sidewalk Ends』をリードアラウド認定講座で、そして『The Giving Tree』は朝日カルチャーセンター(新宿)で、受講者の皆さんと読んでいる。
どう声にしたらよいのか。まさに、表現するための精読が必須だ。
認定講師講座(ワークショップ)では、これまで10数年の間で課題になった本のうち、本書が一番の「大著」だろう。
第8回目の今回は、この中から「Invitation」と、本のタイトルにもなっている「Where the Sidewalk Ends」のリードアラウドだ。
20年以上前のこと、インターナショナルスクールの小学生(3-4年生?)が、本書をbook fairで見つけて、ぎゅっと抱きしめ嬉しそうに購入していった場面を思い出す。そして、そのこと(小学生でそんなに読める!)で、ちょっと愕然とした。
英語指導者として、英語を日本で教えるなら、名作と言われロングセラーであり、英語圏で子ども自身にも愛され続けている本をもっと知って、日本の子どもたちの目指す英語力を今よりもっと高いところにイメージしたい。
「ご飯が食べられなくて、ひもじい」と言ったら、「おやつを食べればいい」と、マリーアントワネットのような答えをする小学生が少なくない日本で、Silversteinの、本書から聞こえる声を理解するには、多少文化的社会的背景の解説も必要だろう。
「Invitation」で、作者が「おいでよ」と声をかけているのは、世間では「悪い子」「不良」と呼ばれている子もふんわりと含まれている。それとなく、そして「普通の子」でもそう言った要素があることにも気づかせる。おまけに、大人の読者も呼ばれている気がしてくる。
これらの言葉からイメージできる「呼びかけ人」は、スーツなんてネクタイなんでほとんど身につけたことなどなさそうな、年齢不詳の、生き生きとした目をしたちょっと恥ずかしそうな大人かな。
偉そうじゃない、頭が固そうじゃない大人。ま、学校の校長先生などの中では、なかなかお目にかからない感じの大人だ。
いわゆる「難しい子」さえ、聞く気にさせるinvitationとして、この詩の読み方を磨こう。
そして「Where the Sidewalk Ends」。表題にもなっている、三連の詩だ。
情景をみんなで、あーだこーだと言いながらイメージする時間も大切だ。
すらすら読む皆さんは、もう世間一般の「英語すらすら」の域なのだけれど、言葉が心に残らなかったり、情景が言葉を聞いていて思い浮かばなかったり。それは、それぞれの心で「どういうことだろうか」と考えたり、具体的に「絵」を頭に描いていないから、聞く人にも伝わらない。
そこで必要なのが、言葉の意味を反芻し、言葉が描いた場面を描くこと。
人の描いたものにただ納得するのではなく、自分の中の意味と場面にすると、ありありと詩の世界が見えてくる。
さあ、そしたら声を出してみる。
朗々と詠うのではなく、まずはこの詩を自分の喋りで「しゃべって」みるといい。
「いろいろ言葉が詰まっていて、読んでいるうちに胸がいっぱいになってしまいました」
ーMさんの朗読、確かに途中、少しだけ不明瞭になったところがあったが、聞いていてそこで余計にこちらの胸も熱くなった。
次回を楽しみに。