「文学」を小学生とどう読む?〜キッズブックス英語スクール

小学生アドバンスクラスでLeo Leonniの『Frederick』を読み終わった。

長く暗い冬に備えてsuppliesとして食料を蓄えるネズミ一家。その中で、Frederickだけ、「sun rays」「colors」「words」という、いわば腹の足しにならないsuppliesを、その頭に蓄えて冬を迎える。

 

冬が来てしばらくして食のsuppliesが底をつき始め、気持ちも暗くなっていく家族が、Frederickにsuppliesの供出を求める。

「Sun raysを目を閉じて感じてごらん」

「色とりどりの野原を思い出してごらん」

と説くFredericの声で、家族は暖かさを感じたり、躍動する色が頭に浮かんで気をとりなおす。

 

「これは魔法?それともFredericの声?」とのナレーションの問いに、

「魔法じゃない。Fredericの言い方や声のせい。そういう感じがしてくる」、そして「そういうの、あるある」と、ちょっとした興奮をしていってくる生徒Aに対して、「こいつたちの想像力でしょ」とクールな生徒B。

Four-leaf cloversも見える、というくだりでは、「あ、四つ葉のクローバー、ラッキー!」と生徒Aが反応したが、

生徒Bは「幸運とか関係ないしょっ。確率的に、たまたま4つ葉になるのがあって、それを見つけただけだよ」。

Fredericが第三のsupply、「words」を、四季を喜ぶ詩として家族に朗詠する。「雨を降らすのは誰?/氷を溶かすのは誰?…」と盛り上げ感動が高まる一節で、「そりゃ、上空にある水蒸気が雨になるんだし…」と生徒Bは言う。

生徒Aは、空に住む4匹のネズミがこれら季節の現象を司っているというこの詩のくだり、「うん、うん。何だか可愛い!」と言葉を味わっている。

「季節が4つあって幸いだと思わないかい?もし3つや2つだったら?」という詩の問いかけには、生徒Aは「あ、いやだいやだ、4つあった方が変化が楽しめる」と模範的お答え。

さて、生徒Bは?

「ねえ、どの2つ?」、と尋ねた。そうか。こりゃ盲点だった。

「春と秋なら、2つでいいよ」って。

 

『Frederic』はなかなかの文学作品だと思う。Fredericはいいこと、言うなあ、と私個人は心を打たれる。だが、その文学的な部分での感動を、読解の唯一の「正解」として言われると、ヘソ曲がりなので、科学やら実際的なことが頭をもたげる。

学生時代(高校になっても英語では文学を論じ合うところまでいかなかったので「現代国語」での話だが)、文学部分だけで一面的になる論調にはついていけなかった感覚は覚えている。

英語で、文学的な解釈までを小学生と論じられる、指導者としての幸せを感じると同時に、即物的に考えがちで、なかなか文学に「乗れない」部分を持つ生徒の指導も、今後の文学のために重要視したい。

まずは、同じ事象の多角的見方を認めること。文学だけでなく、科学と現実も引き合いに出して。

意見を聞く姿勢を指導者として出すと、生徒Bのように絵本の文学的部分に乗れない、その延長で英語全体に無関心になりそうな小学生高学年が、発言するようになる。それは、同時に「文学的な」もう一方のタイプの生徒の刺激にもなる。

発言の機会は、やる気を引き出し、何らかの学習にかかわる記憶も残してくれる。

 

 

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