本年度のワークショップ(認定講座)は、ちょっと欲張りすぎかと思っていたが、
案の定、4月の回が終わった今、言い残したことがぽつぽつあって気になる。
このブログに挙げさせて頂き、「言った」ことにしたい。
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言い残し、その1:
自習してきた読み(before)と、ワークショップで「知恵」をつけたり、演習した後の読み(after)を聞き比べて、ある共通項があることに気づいた!
[BEFORE]
みなさんの朗読は、
1.単調 または
2.一種のステレオタイプ
になりやすい。
1.の単調になる派は、リードアラウドをして日が浅めの人たち。
どうしても表面的に読み上げる式というか、日本の英語優等生の読みかた。
字面を丁寧に正確に追うことに注力し、表現をつける努力は見えても、それが
型通り、
または、
小さい、
または、
よく考えた解釈からではなくため唐突に聞こえる。
2.のステレオタイプ派は、ベテランに多い。
自分の得意な型に収めてしまう。
課題書なりの考察が深まっていない、省エネタイプ。
ある程度、「面白い」「他と違う」など聞くものを驚かせる効果はある。
しかし、表現の「ひだ」がなく、大味で、クセが前面に出て、聴く人の好みに左右される(嫌いとか、敬遠されることも)。
飽きられやすい。
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受講して3期目以上の「中堅」のみなさん!
このへんを聞き分け、講評できる力を、中堅のみなさんはそろそろ備えて欲しい。
「ベテラン」の成長のためにも。
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次は、
[AFTER]
その特徴:
1. ナレーション部分に「血が通う」
2. 大げさすぎるとか、違和感があるおおぶりな表現が、細やかになる
3. 表現とは関係のない各自のクセが影を潜め、表現に変わる
先月の課題書で、今回仕上げて来た『Walter Was Worried』。
みなさんの朗読に「血が通った」と感じたなかで、特記したいのはこの二人。
新人のNさん。
そしてめきめき力をつけたKさん。
派手ではないスタイルの読みながら、物語として聞こえるようになった。
この本は、絵が面白いので、その後ろにある物語に気づかずに読んでしまってもお茶は濁せる。
例えば、前回お休みして、今回は自己流で読んだMさんの朗読。
ベテランNさんが、初見に近い感じで読み、どうにかお茶を濁したが、[BEFORE]のタイプ2の好例だった。
そこで、
課題書の分析、指導のポイント、演習などをしてから読み込んだらどうなるか。
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仕上げバージョンをみせてくれたみなさんの朗読で
たいへん嬉しい見本が、先のふたりだ。
Kさんは、静かだが、好感が持てる飽きのこない声。
その声がさらに、言葉がひとつひとつに具体的なイメージを想起させた。
新人Nさんは、まだ緊張が残るが、練習のせいだろう、安定感も出た。
絵が見えない(物語が見えない)読み上げだったものが、この度は絵が見えてくるように。
自分の脳裏に、物語の流れを写し出せるようになったからかと思う。
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N.I.さんも、心地よく語る部分が多くなった。
遠くに届ける意識で声を深く響かせると、物語がもう少し大きく、余韻もでるようになるだろう。
2.のタイプのいい結果が出そうだと期待させてくれるのは、Rさん。
Rさんは放っておくと、ジョニー・ディップが役作りしたみたいな濃いものをもってきて、場違いまたは「くどい」と感じる場合もでてしまう。
それが、分析を通して解釈を深めると、型にはめる代わりに、本に適した役作りや解釈をして、表現が修正される。
例えば強弱だけだったものが、強中弱になって細やかになる感じだろうか。
醤油だけの味付けに、だしのうまみが加わる感じ?
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3. の「表現に関係のないクセが影を潜める」上達をみせてくれたのが、まずH.M.さん。
語尾というか、文の最後にくる単語に、なぜか力が入る。
その力は、文脈にも関係ないし、表現にも関係ない、クセと思われる。
だが、内容の分析をして、場面の繋がりなどを確認した後は、あら不思議、それが消えたり弱まるのである。
本書の場合は、登場者のemotionがいろいろ言い表されるのだが、そのemotionがたわめられていたのが、そのまま外に出た。感情が解放できている、というのかもしれない。
Yさんの場合もちょっと似ている。
絵本の登場者を闇雲に「かわいい声」という型にはめて、その「かわいい」さワンパターンにしてしまうクセ。
これも、内容解釈のおかげか、個々のemotion表現の演習のおかげか、影を潜めた。
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なにしろ、持ち帰って練習して来た『Walter Was Worried』の読みが、随分とよかったということ。
こんな大切なことを、言いそびれて、どうもごめんなさい。
(続く)