朝日カルチャーセンターの講座「声に出して読む英語絵本」で、最近読んだ2冊のうちの1冊が、『Harold and the Purple Crayon』だった。
長らくリードアラウドせずに「置き去り」にしていた本だったが、改めて幾つかの発見があった。
解釈上の発見と、表現指導上での発見だったのだが、その表現指導上での発見について、記しておきたい。
リードアラウドの選書基準にしていることの一つが、
「ページを開けて、そこにある文の内容が、同じページに描かれている絵でおよそ想像できるか」。
子どもと読む、また英語が母語ではない相手に読むことが多いリードアラウドでは、重要なことだ。
本書は標準的絵本のページ数の二倍近く、全部で50ページ余りある。
この「ハードル」のため、「置き去り」状態だったのだが……。
このたび、見方を変えてみると、ページ数が多いのは、本文の物語展開を忠実に描き起こしたためなのであった。
そのおかげで文と絵が、まるでアニメのようにシンクロしていて、内容が幼い子どもや英語非母国語の人々にも理解しやすい。
さすが英語の初心者には難しいが、英語学習歴3年前後以上なら、リードアラウドするのにお誂え向きだということ。
発見であった。
その「本文=絵」という作りの他に、もう一つの発見は、ページの前後がほぼ全編を通して「原因ー結果」の関係になっていること。
ゆえに、前ページ(原因)には次ページで起こること(結果)の「鍵」が示唆される。
これが、大人のリードアラウドでの表現磨きに役立つ。
例えば、家に帰りたくなったHaroldが、見慣れた自分の家の窓を探し始めるというところ。
望郷の念が募って(原因)、自分の家の窓を探す(結果)。
「窓」が鍵となるので、原因として「帰りたい」という強い思いが入る。
次のページではその思いを受けて「窓でしょ、探すべきは」という考えが、結果として示される。ちゃんと、「帰りたい」思いを受け取る、という表現が求められる。
こうして、次々と現れてくる窓、窓、窓という「原因」に、「あれじゃない」「これじゃない」という「結果」が続く。
そしてまるでヒッチコック映画のように、窓が強迫観念のように迫ってくる。
それを、ページ一枚一枚進みながら、畳みかけるように感情を前のページから受け取りながら、読み進める。
誠によい演習になるものだ。
ベテランになっても、読んでいるとふっと感情の乗っていない、空疎な言葉が出てきてしまうことがある。
今回の本書での、感情の持続や自然な流れ作りは、ペアでするのにぴったり。グループレッスンの長所が活かせたかもしれない。