朗読にはふたつ目的があるだろう。
伝達と表現。
英語絵本をリードアラウドしていて、今更ながらに思うのは、表現に重点を置いている、そこがリードアラウドたるところだということ。
また、リードアラウド以外のよくある読み方、「英語が上手な人たち」= 英語の先生や素人のネイティブスピーカーなどの典型的な読み方は、意識していないにしても、ほぼ伝達を目的にした読み方だということ。
そんないわゆる「英語が上手な人たち」をも相手に、わたしが図々しくも「指導」できるのは、その伝達的な朗読を表現的なものに近づける指導を期待されるからだ。
伝達の読み方と表現の読み方、どこが違うのか。
まず伝達の朗読。
英語を聞くだけで文章や単語が頭に浮かぶ人たちに、その本に何が書いてあるか、客観的に文字面を読んで聞かせる。
または、読み手と聞き手の手元に同じ本があり、英語がある程度わかる聞き手に、読み手が全語句を読み下す。英語の先生が教室でする典型的な読み方だ。
次に表現する朗読。
書いてある言葉を身体に一度取り込んで、書かれた物語の主体として自分の感情にしたものを言葉に載せる。
伝達の朗読は、本来聞き手がその言語に通じていることが前提となっているが、表現の朗読は、その言語や文字を十分知らなくても、同じ人間の感情なのでかなりの部分、理解や推測ができる。
英語絵本を英語を母語としない子どもたちに読んでやって、
「ちんぷんかんぷん!」
という感想をもらった経験のある人。
多分その読み方は、伝達の朗読だったのだ。
表現の朗読を目指そう。
わたしの予想では、近いうちに、伝達を目的とする朗読は、AIなど機械が軽々とやってくれるようになる。
でも表現する朗読、リードアラウドがそうだが、感情というとても人間らしいものが関与するので、しばらくは人間がリードできるものだろう。
まだまだ機械に勝てる。
そして表現の探求は、「芸」という高い目的を人に与えてくれ、精進すれば子どもたちにも喜ばれ、それに対して「喜び」というおまけがつく。