今は多少状況が変わったが、20年位前は、我が家で読書をする人は私だけだった。もちろんネコ2匹は除外して、人間の家族が二人いたが、読書する姿を見たことがなかった。
片方は仕事でそれどころではなかったので、まあそういうものかと思った。
だがもう一人、若いほう。
今読まないでどうすんだ!
私の本好きのDNAは、君に受け継がれなかったのか?!
いつもその姿を見ると不満というか、不安が頭をよぎっていた。
運動ばかりしている少年にとって、本は積ん読もの。Book reportは、適当にネットで情報を集めてまとめるもの。うううっ。血を分けた家族として辛いものがあった。
・・・このあたりの葛藤が、トラウマになっているのか、「少年」「読書」のキーワードが、時を経て、頭の中で特大化していると感じる。
「少女」については、安心感のようなものがあって、つい「ねえ」と自分と一緒に本への愛があるものと思って、心穏やかだ。
だからなのかどうか分からないが、「読書をしない少年(実はそういう少女も)」または「まだ読書を好きになっていない子ども」がいると、おせっかい心が疼いてくるのだ。
「彼らを読書好きにするのが、私のライフワーク?」
などと思う今日この頃である。
そこに最近舞い込んだ、嬉しい知らせ。
「ダーウィンの本はとても気に入って、家でも読んでいました。
最近単語が増えた様子です。」
Readingのレッスンを受けている男子のお母さんからのメールだ。
ああ、幸せ。
およそ本を手にしない我が子が、嬉々として本を読んでいて、その本がコレだったりしたら…
自分のことのように嬉しい。
これは私の「自己満足」の一種なんだろうが、もう二人、喜んでくれているから、許してもらえるかな。