「普通のひと」の絵本の読み方と、少しでも先生について稽古した人の読み方の違いのひとつに、語り口を意識しているかがある。
今回は、『Animals Should Definitely Not Wear Clothing』を使って、作品の持つ声、語り口を考え、適したものでの朗読を演習をした。
本文は「動物というものは〜」と始まるが、これを誰が言っているだろう。
「服を着るべきではない」と客観的に報告、伝聞するならアナウンサー。
動物の代表が、国連のようなところで演説とか訴えをするという状況も考えられる。これは動物自身だから、主観的になる。
それから、「動物に服を着せるとこんな変なことになる」と面白おかしくかつダイナミックに語るという講談師という想定もある。
この3通りで本書をそれぞれみなさんに読んでもらった。
「だれが言っているのか」を意識するだけで、階段何段か飛ばしの説得力のある、表現として聴く気になるいい朗読に変化したのに、皆さん自身は気付いただろうか。
逆に言えば、語り手がだれかを意識しないで読むことが、どれほど「手抜き」か、それがわかって怖くなるだろう。
「動物の代表」として演説のような読みっぷりは、自分が動物の代表だと意識するだけで、ずいぶんと感情が移入できた。
いいところまで仕上がったように思う。
リードアラウドは、通常なら「アナウンサー」読みはしないのだが、これはこれでできれば、その人の「持ち札」が増えていろいろ読むのが楽しくなるだろう。
本講座はリードアラウドを真面目にやってきたせいか、いざ、感情を入れず情報だけを伝えるようなアナウンサー読みが、もはや難しくなってしまったかのよう?
リードアラウドの上級者として、講談師の読みというか、「けれん」のある観客に訴える熱量の高い読みもできるようになりたい。
本課題書を講談師風に読むのは、ひとつの解釈として面白いと思う。
そのために観客に聞かせる意識を、強烈に持つこと。照れてはいられない。それを乗り越えると、不思議な高揚感で気持ちが良くなる。
英語の先生という職業を選んでいるという時点で、たいていの皆さんは自然体で「講談師」ではないだろう。そんな英語の先生が、「講談師」の話力もつけたら…。
今回は、nice try。
その姿を見せるだけでも効果があるだろう。さらにこれを磨いて、観客を集中させる力、沸かせる力を、適した本なら「講談師」の話術でも、できたら素晴らしい。