公立小学校で『No, David』をリードアラウドしたけれど〜リードアラウド研究会

小学生の英語の現状を肌で感じるために、ここ1年、区立小学校の英語支援員として5年生と6年生の「外国語」支援をしている。

学期末の先日は、5年生2クラス(約70人)にそれぞれ『No, David』をリードアラウドした。

 

10余年前に関わった公立小学校の雰囲気とは、ずいぶんと違う。

第一に、英語慣れしている。

英語を嫌がらない。

パラパラ見て、読める英語があり、自然に拾い読みする子どもが少なくない。

英語が少々でもできることを、隠したりしない。

 

「今日はリードアラウドで、みんなが声に出して、絵本の場面場面の臨場感を出して、読むんだよ」

と言うと、10数年前の件の公立小学校では、「しーん」とした不安そうな空気と、「えー」という拒否する空気が感じられた。

 

なのに、今やなんだろう、この「いいよ」といったリラックス感。

小学校での英語教育は、少なくとも多くの英語への恐れのようなものを払拭したようだ。

 

さて、とりあげた絵本は、悪戯坊主のDavidが、Momに叱られるようなことをし続け、それをMomが叱り続け、最後に「惨事」を起こし反省したDavidを、優しく許してあげる、という話。

 

「こんなとき、みんなのおかあさんは、どんな言い方で叱る?」などと場面ごとに問いかけて、「こんなだ」「あんなだ」とか発言を聞く。

そして、「じゃ、そんなかんかんの、おかあさんになったつもりで読んでみよう」と、リードアラウド指導の「めだま」、感情を言葉に乗せる練習を楽しませるうちに、英語のフレーズに慣らす、という作戦だ。

実際、教室では、大声を出したり、おおっぴらに人真似したり、で盛り上がって、あっという間に40分はふっとんだ。

 

終了後、「いい汗かいたな」とかなんとか、いい気になって一息ついているときだ。

「あっ」と、冷や汗が。

 

油断した……。

 

おかあさんが、いなくなった。新しいおかあさんとうまくいってない。おかあさんしかいない。または、おとうさんしかいない。おかあさんは忙しくて、かまってもらえない、などなど。こうした問題がある児童も、この小学校には少なくないことを、ちらっとは聞いていたのに。リードアラウドの最中に、わたしの意識からそれらが抜けていた。

 

いい訳は、こうだ。

わたしのリードアラウドの以前の「ホームグランド」は、豊かな家庭の子どもが多い私立のある小学校で、そこでの10年の経験が、主な小学生イメージになっていた。

両親がそろっていて、きれいな家に住んでいて、ちゃんと毎食ご馳走を食べている。本書の主人公Davidも、そのような感じで描かれていて、状況を共有している感じがあった。

 

配慮すべきは、2022年という、国民の貧困化が取りざたされ、子ども食堂なるものも増え、共働きで、きつきつの生活の話を聞く時代になっていること。おまけに、裕福な家庭が多い地域ではないと言われるところにある公立小学校だということだ。

 

 

わたしのちょっとしたコメントや、冗談、挙げる例に、このような時代的な、地域的な、家庭環境的な配慮があったか?

もしかして、「年の功」でいいくるめて、すれすれセーフだったか?

 

「そういうところだよ、おまえさんの甘さ!」ーーーいい年して、今更、昔に叱ってくれる人がいた頃の、言葉を思い出す。