『Swimmy』のプレゼンテーションで始まった今回。
第一声、ちょっとくぐもっている人も。
コロナ禍でマスクをつけ、大声禁止の状況のせいだろうか。リードアラウドは、やはり張りのある、艶のある、聴衆に聞きとりやすい声が身上だ。
声を取り戻そう!
さて、課題書は『A Book of Sleep』だ。
わが子を就眠させたい、そう思う親が読むのにもいい本だが、わたしたちは逆に、子どもに眠気を呼びおこさせないようにする。夜の動物たちの様子に興味津々、いろいろ想像を巡らさせるような、起伏に富んだ飽きさせない表現を考えてみた。
幼児が大人に読んでもらうのを前提にした本で、ところどころセンテンスが長いところがある。
ということは、主部と述部がどこで、どの言葉を強調するか。聞いて何となくでもわからせることが大切になる。
そして、強調するのには、声の強弱・プロミネンス、リエゾン、声のpitch、緩急のどれを、どう、どこに使うか。これらの演習をした。
そして、本書の繰り返しの語句に注目。
リードアラウドは、声による表現なので、音楽に通じるところがある。語り手によって発せられた表現ある言葉は、音にのっている。言葉に音程とリズムがあると考えれば、一冊の本を声に出して読むということは、読み手が「作曲」して歌うようなものだろう。
そこで本課題書だが、「Some」が7回ほど繰り返される。これをどう「作曲」するか。みなさんの最初の読みでは、7回とも同じ「音符」のひとがほとんどかと。
演習では、この部分をそれぞれ「作曲」しなおし。
変化をつける意識をするだけで、みなさんからいろいろな音色が聞こえてくるようになったのは、至福でありました。
ここでもうひとつ、気になった「神の声」について。
ナレーターを「神」のような、いわば絶対的な、すべてを鳥瞰している人にするという設定は、本書でもあるだろう。しかし、それを成功させるのは難しい。まずは、身近な、近くにいる人に設定することをお勧めする。
それでも、将来的には、遠い崇高な声もできるようになりたいので、少々考えた。
よくあるのは、白々しく、ちょっとむず痒くなる「神の声」だ。
これは、血の通った本物の感情を置き去りにして、観念的な、または類型的な型にはめた表現であるだけでなく、読み手のナルシズムのようなもの(人間だれしもあるのだが、普段は隠している部分)が感じられて、むず痒くなるのだろうと思う。
白々しくない「神の声」は、研究課題。
(つづく)