スクール生の最高学年は夏までは、高校3年生だったが、今はスクールを「卒業」して受験の真っ最中。
目下の最高学年は、英語を学び始めて4〜7年程度の「小学生アドバンスクラス」の小学生だ。
この生徒たちへ、スクールが来年度の目標に定めているのは、こんなところ。
●英語学習期間4〜7年 小学生アドバンスクラスの目標
(語彙)(北米基準) G1〜G2
(読解) Lexile 400〜600L(英文の難易度の客観的数値。850~900Lがハリーポッターシリーズ)
(文法)(北米基準) G3レベル。より複雑な文章を構造的に理解させ、自分でも短文を作文できるようにする。
(絵本・読本のreading) 8〜10冊程度(年間)をリードアラウド。 精読とシャドーイングを使った速読両方の読み方で学ぶ。読解力と長文を大づかみにする力と reading fluency。日常的言い回し。
(アセスメント ) 年2回。reading fluency と読解、語彙の指導の進捗を測り、最適化。
(発表) 発表会2回。学んだ本を聴衆の前でリードアラウドする。表現力、プレゼン力養成。
このクラス、自分たち指導者が教えてきたクラスなのだが、生徒がここまで身につけてきている力に、ときどき新鮮な驚きを感じてしまう。
つい出る言葉は「よくわかったねえ」。
時には「なんで分かったの?」。
そう言われた生徒たちの、なんともいえないくすぐったそうな、ちょっと誇らしげでもある表情がいい。
一番驚かされるのは、語彙と文法力の成長だ。
初見の本の本文を読ませて、意味を推測させると、100%でなくとも遠からずのことをいう。
または読み間違えても、全然わからなくて間違えたのではない、勘違いなど知的な間違えだったりする。
例えば「bare」と「bear」を勘違いして、文意が「はてな?」になったりするが、英語をちょっと知っている人の知的で、なんだか可愛らしい間違えだと思う。
全く文法など知らなかった生徒が、近頃では「theyは、『やつら』だから複数で、verbはsがつかない」とか、呟きながら文法のワークをやっていたりする。
面白いのは、「呟く」こと。ひとりではなく、複数の生徒がそう。
尋ねられていないのに、例えば主語によって動詞の形が変わることを、ぶつぶつ説明しながら問いを解く。
学んだばかりで、自分でも確認作業が必要なのだろう。その初々しさが、とても可愛らしい。
「なんで分かったの?」などという生徒に失礼な質問をしてしまうことがあるが、その答えがカッコいい。
「う〜ん、なんとなく」。
こういうのが、先生冥利に尽きる。
やったね!
これは、ある程度、そして内容のなる英語学習を継続してきて、英語知識の「基底部」が大きくなってきた証拠だと思う。
英語の知識というもの、よく氷山に例えられる。
表に出ている部分、使える英語は、海水下の巨大な基底部があってこそのもの。海上に出ている「氷山」は小さくても、基底部は大きい。
生徒たちの「なんとなくわかる」という感触は、英語の基底部が大きくなったことによるのではないかと思う。
大昔、わたしには構築が難しい英語文を、よく英語母語者がすらっと言えたり、一つ一つの単語の意味はわからなくても全体を大づかみできるのを見て、「どうして分かるようになったの」と聞いた。
その時の英語母語者たちの答えは、みんな、「なんとなく」だった。
当時のわたしには、ちょっと腹立たしいものだったが、今ならもっともと思える。目に見えない知識がたくさん溜まって、やっとその一部が日の目を見る。
英語を「知っている」と「使える」は違う。
基底部が「知っている」ことのありかで、上に出ている氷山は、英語の「使える」部分。
「知っている」英語の知識は、何年もかけて作っていかなければならないが、順調に学習が進めば、4〜5年で「使える」英語が見え始めるように思う。