ここ10年くらいだろうか。
英文をネイティブ並みにスラスラ読むことができ、発音もほぼパーフェクト。
ところが、なにが書いてあるか尋ねると、きょとん。
こちらが驚いてしまうほど、なにも答えられない。
こんなな日本人の小学生に遭遇することがそう珍しくなくなった。
先日、スクールのTutoring serviceの体験レッスンに、インターナショナルスクールに通う日本人の小学生が訪れた。
「英語全般の成績がかんばしくない」というのが受講理由。
問題の内容を見るため、まずAssessmentを行った。
その結果は、たいへん興味深いものだった。
単語を正確に読み下し、文章をつながりとして意識し、それなりにまとまりとして読む力は、北米の同学年並み。
普通の日本人からすると、英語ペラペラに見える。
読む速さも同様に、学年相応に滞りない。
発音などまったくナマリもなく問題ない。
ところが……。
comprehensionで、問題があらわに。
本人の音読後、もう一度、指導者が全文を読んで聞かせたあと、なにが書いてあったかを問う簡易的な評価方法で、おおよその力が把握できる。
評価は6段階。
「1」は、たったいま読んだ文から、かろうじて1、2のことが挙げられる。
「6」は、内容を要約して論理的に話せ、詳細についてもかなり語れるというもの。
この小学生の評価は「2」だった。
根掘り葉掘りこちらが尋ねてやっと、重要なこともそうでないことも関係なく、書かれていたことの断片をポツポツ挙げるに留まった。
これは、どういうことなのか?
「スラスラ読める」は、近年のフォニックス教育の成果か、素晴らしいこと。
しかし、読解となると、深く考えるための言語的に噛み砕いた助けが必要だが、それがなされていない。
そしてその必要性は、英語を母語としない英語非母語者であるところから来る。
英語を英語で読解するには、高度の英語力と語彙力がいるが、非母語者の場合、英語環境の密度の違いなどから、自然にはネイティブのような年相応にならない。
最初はちょっとした差でも、小学校の1〜2年間で大きく開く。
この状態から、どう助け出したらいいか。
こうした二言語に接している子どもには、母語の読解力を使うのが、英語の読解力を上げる近道だと思っている。
第二言語習得研究等で取り上げられる「Interdependence Hypothesis(相互依存仮説)」が、現場を知る人間としてとても現実的と思う。
つまり、母語と非母語の言語能力は、基底を共有しているということ。
母語の言語能力を高めれば、非母語の言語能力も徐々に上がるという仮説だ。
母語の力を借りて、より容易に読解することで、英語の読解力があがる。
「どういうことが書いてあるの?」
「ここに書いてあることを、簡単に言うと?」
日本語だったら、楽にかいつまむことができたり、ニュアンスを言いやすかったりする。
そこを日本語で補い、英語でrecast(言い直し)させたり、してやったりしながら、ブランクを埋めていく。
この日本語と英語のバランスを図るのは、おそらく経験値。
さじ加減は、微妙だ。
さあて、幸いこの小学生は、今回の体験レッスンに「楽しかった」という感想を抱いてくれ、めでたくtouteringクラスの受講が決定!
半年後のアセスメントで、指導の成果を見せたいものだ。