リードアラウドの演習をしていると、fluentはfluentなのだが、課題の本にそぐわない読み方だと感じることがある。
違和感というものだろう。
例えば、『Ten Little Fingers and Ten Little Toes』。
最近のリードアラウドの課題書だが、自分の子どもが生まれたばかりの若い母が語り手だ。
作者というより本が、ほぼ絶対的に親密な「近い」語りを望んでいると思える本だ。
それなのに、読み手が「遠く」、突き放した感じで、客観的に過ぎるきらいがあるな、
簡単に言うとちょっと冷たいな、と思うことがある。
こういった指摘をすると、
「自分はそんなベタな愛情を示す親ではなかった」「これが自分には自然な近さだ」と、
母の経験がある人は主張したりする。
わたし自身もそう思っていた頃があったで、とてもよくわかる。
だが、「遠い声過ぎる」と講評される人には、ベタな親密さの先の高次元の、より本能的な「近い」声の存在に気付き、そこに到達するチャンスがあると言っておきたい。
そんな内なる声の追求は、自己発見の道のりと重なるかもしれない。
リードアラウドは高みを目指す!
実際に母をやった人が軽々と「近い声」を出せることも多いが、
実生活で母をやってない人や典型的な「母」ではない人には、最初のハードルは高いかもしれない。
だがそれを超えれば、よりプロフェッショナルな読み手への道程を、難なく「近い」声を出せた人たちより先に進めるかもしれない。
さあ「近い声」探しだ。
心の中の自分の声を、外に引っ張りだすのは、かなり恥ずかしい。でも、それが演技者には必要だと思う。
わたしはそんな皆さんの「恥」を捨てさせる、いい方法をこれからも考えていこう。