子どもの発言をうまく仕切るのは難しい〜リードアラウド研究会

Night Animals

研究会のふたりの先生による、書店でのリードアラウド指導記録を読んだ。
録音を聞いての記録だ。
とても正確で、いろいろ役立つ指摘に溢れている。
今回は特に、子どもの発言の「しきり方」の難しさが多く指摘されている。
いくつか抜粋し、補足(→以下の部分)などしてみたい。

子供の発言が活発なのは良いが、適切な対応しつつ、先へ進むのが難しそうだと感じた

→ 本人たちも書いているが、直接関係がないようなこと、聞き取りにくいこと(幼児口調だったりで)は、その場では「後で教えて!」と言っておき、忘れずに個別に終了後に尋ねるなどする。
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その場では感じなかったが、録音を聞くと、説明の部分が長すぎたかも。
この頃から時間が押してきた。
適切に突っ込んで時間修正しなくては、と思いつつ、難しかった

→問題点2点。

1.説明が長過ぎることを、説明している本人たちはその場で感じない
自分たちが仕切っていると、自然と優位に立っている感覚で、とうとうと述べたりしてしまう。
しゃべる方と、聞く方で、流れる時間が違う。
しゃべる方は速く、聞く方は遅く感じるもの。
よって、指導者自らが説明してしまうのは極力避けて、相手(生徒)に喋らせる。
すると、彼らの時間が速く進み、うまくいけば「あっと言う間におわっちゃった!」との感想をいただける。

2.相方に「つっこん」で時間修正するのは難しい。でもmust!!!
相方に気がねするよりも、お客様(子どもたち)のためを考えること。
つっこまれる方も、素人意識だと個人的な「攻撃」と思ってしまったりするかもしれないが、プロ意識をもつこと。
つまり、お客様のことを考えること。
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質問の答えを内容に合わせて引き取ってつなげていく作業は難しい

→Yes, andの方法だ。
頭で考えるのと、現場で急に出た子どもの発言に合わせて、引き取りつなげるのは、臨機応変、improviseする力がいる。
シアターゲームは、その力を「才能」とはせず、だれにでも身につくものとして、訓練してくれるものでもある。
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MC交代するはずも、上手く引き継げず。交代後は、時間なかったので、テンポ良く進めるつもりも、子どもの発言に反応しすぎか、なかなか追いつけず

→ペア指導の場合、引き継ぎはアイコンタクトを密に取ることで、滑らかにする。
ペアとしての協調性を、直前のウォームアップでアップさせたい。
たとえば、鏡ゲーム(ふたりで向き合って、鏡で向き合うひとりを演じ合う)など。
子どもの発言にどの程度、反応するのか、采配が難しいことが、ここでも挙げられている。
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RAの時に、もっとセリフの練習をしておくべきだった。
質問と答えに時間を取りすぎた

→子どもたちが、ある程度読めていないと、演じる子どもたちも、観客も、リーダーズシアターの楽しさが味わえない。
練習の時間をとれるような、時間管理がとても重要だ。
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時間がなくなった要因は、子どもの声に耳を傾けすぎた事と、MCに無駄な発言が多いことか。大島先生のMCを聞くと、無駄な言葉なしに、自分から物語を説明することもなしに、的確な質問しつつ、子どもたちを誘導している

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全体を聞き直してみると、もっと緩急をつけた指導が必要だと思う。丁寧になぞっていると生徒も飽きてしまう

→ 全部、丁寧には出来ない、と割り切ること。
ここだけは絶対、面白い。ためになる。というところを絞り、他が薄くなってもそこは濃くやる。
そうすることで、そこが印象に残り、結果的に子どもの「ため」になる。
「全部を、丁寧に」は、実は、全部をつまらなくしてしまうこともあることを、胆に命じよう。
ダイナミックに。
演出家のように考える。
指導の醍醐味は、こんなところにある。
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指導計画の時間配分も、もっと、前倒しで立ててよかった、と思う。役割分担、練習は、思いの他、時間がかかった

→リーダーズシアターの場合は、何しろ後半に時間がなくなると、致命傷になりかねない。
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説明が長くなってしまった。もう少し工夫して子供たちが繰り返しセリフを読む時間にあてるべきだった。何度も読むことで、意味はそれとなく分かると思う

→そのとおり。リードアラウドが表現を大切にしているのは、このためでもある。

いい表現とは、内容を正確に表しているものだ。
だから、指導者が手本になる「いい表現」で読み、それを繰り返させるだけでも、子どもに内容が分かってくる。
子どもに、「いい表現」をさせられれば、もう半分以上、内容理解をさせられたのと同じ。
「これは悲しい場面ですよ」などと台詞を説明して、頭でわからせるのではなく、「悲しい」という表現で台詞を言ったり言わせたりして、心や身体で分からせる。
心、身体でわかった英語は、記憶に残りやすく、また再現すれば相手に通じやすい。
こういう学び方が、これまでの日本での英語学習に欠けていたという思いを強くする今日この頃だ。

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