リードアラウド指導後の気づき~リードアラウド研究会

リードアラウドを子どもたちとしたあとで、研究会では「指導記録」を書くようにしている。

先日は、研究会のベテラン、RさんとMさんが書店で、『You Are (Not) Small』を指導した。

Mさんは、今回もそうだが、いつも指導の最初から最後まで録音して、細かく気付きを挙げる。

出来そうでなかなかできないこと。
それは、自分が話している録音を聞くことがとても苦しいからだ。

まず初めは、自分の声や話し方が、自分で思っていたのと違うのにショックを受ける。
しかし、事実を受け入れなければならない。

でもこれは、次第に自分でも「個性」として受け入れられてくる。

だが、もっとひどく辛いのが、不正確なことを言ってしまったのに、録音で気づいたとき。
指導者として申し訳なく、胃がきりきりする。

また、話し方の下手さに気づくとき。
主語と述語がずれてしまっていたり、辻褄が合わなくなったり、まわりくどいとき。
ここでも、子どもたちにすまなく思う。

自意識が落ち着いてくると、やっと、子どもの声が拾えてくる。
すると、気づくのが、子どもに応え切れていないこと。
無意識に無視していたり、自分の「レーダー」の鈍さに気づく。

せっかくいいことや正解を言った子どもや、上手に読めた子どもに言葉をかけずに進めてしまうのに気づき、冷や汗が流れる。

こうして、客観的に自分の指導した様を録音で確認することで、指導者は多くのことを学び、進歩する。

お疲れさまでした、Rさん、Mさん。

以下、ふたりの指導記録から、役立ちそうなことを抜き書き編集した。

・指導者が開始より早めに会場にでて、ウォームアップする姿を見せたら、子どもたちが興味津々になった。

・質問を用意するが、答えは用意しない。子どもに発言させその場で応じた。

・場に応じて大人にもふり読んでもらった結果、場が和んだ。

・声を思い切り出させた。

・身体(特に今回は顔)での表現させ、エネルギーを出させた。

・リーダーズシアターの練習で、椅子を並び替えて、気分を変えた。そのおかげか、子どもも退屈しなかった。また、練習もしやすくなった。

以上。

「子どもの読み方が、だらだら引きずったようになる」
という気づき、ふたりが課題に挙げているのは、特別に興味深い。

複数で同じ文を読むときに、声を合わせよう文字面を追うため、表現が平坦になるということかも知れない。

各箇所(句、節、文など)の表現はいろいろあっても、いっしょに読むときはどう読むか決める、というのも手か。

あるいは、声がばらばらになってもいい、感じを出す方が大切と予め伝えるか。

この平坦でゆっくり読みの傾向は、リードアラウドの指導者が子どもと一緒に読むときにも現れるほど、リードアラウドにとってやっかいなもの。

指導者として、表現の意志、表現指導の意志、これを強くもつこと。
これが答えなのかなと思う。

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