リードアラウドが追求しているのは、日本語の朗読界で「表現よみ」というものらしい

日本語の朗読について、英語との共通項を求めて読んでみた。
「表現よみ」については、興味深かった。

ちょっと読んだ感じでは、リードアラウドが目指していることは完全に「表現よみ」じゃないかと思う。

日本の朗読界、そして表現よみではよく名前が挙がる、渡辺知明さん。
彼によれば、朗読と表現よみの違いは、以下のようだ。

例えば、「よみの目的」。
朗読は、テキストの伝達、これが目的。
表現よみは、テキストの理解

「よみの声」。
これはときどきわたしが、「白々しい声」と言ったり「NHKの声」といったりするあれだ。
朗読は、客観的(遠い声)。つまりこれが、「白々しい声」に近い。
表現よみは、主観的(近い声)。親身の声とでもいおうか。

「調子」はどうだろう。
朗読は、よみ手の読み調子。
表現よみは、作品の要求する調子
リードアラウドで、いつも語り手のプロフィールを考えるが、それが作品の要求する調子ということだ。

「文章の理解」については、
朗読は、文章の文法的な構造。
表現よみは、語り手と人物の対話構造
そう、リードアラウドでは内容を分析するが、文法ではない。

面白いのが「読み手の態度」。
朗読なら、自己放棄。
表現よみなら、自己表現
リードアラウドそのものでは?

そして「よみの目標」は?
朗読なら、文章の伝達。
表現よみもリードアラウドも、作品理解と表現だ。

もう少し、この渡辺知明さんの著書『朗読の教科書』を読み進め、「表現よみ」について学んでから、「リードアラウド」が、日本語で言うところの「表現よみ」、かどうかの判断をしたいと思う。

One Reply to “リードアラウドが追求しているのは、日本語の朗読界で「表現よみ」というものらしい”

  1. 拙著をお読みくださってありがとうございます。
    いわゆる「朗読」の世界というものは狭いものです。
    表現よみこそ、普遍的なよみの理論と実践だと思っております。
    疑問や質問などありましたらお知らせください。

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