未就学児と英語絵本を介して関わっていると、幼児ならでは特徴の発見や再発見がある。
相手を理解することが、よりよい指導に繋がるので、こうした気づきを記しておきたい。
最近の、そんな気付きのひとつ。
発達心理学や教育心理学では常識だろうが、この2点だ。
◎幼児は一般化、抽象化、概念化ができない。
◎象徴的思考・直感的思考の段階で、実念論(realism)・自己中心。
こんなことが最近あった。
『School Bus』という絵本のリードアラウドをする、スクールでの時間。
どうも棒読みだ。
こんな幼い子が、英語の本文をいっしょに唱えたり、ところどころ読めたりするだけでも素晴らしいのだから、それで終わらせることもできる。
でも、リードアラウドでは「表現豊かに」読ませるところまで持っていきたい。
それまでのレッスンでも「この場面はどんな感じがする?」などと、表現をつけさせようと指導者が努力していたが、どうも平坦だった。
そこでこの日は、こう子どもに提案した。
「自分がバスだったら、この中のどれかな?」
5、6歳児は、この提案を理解して、分身となる1台をそれぞれ選び始めた。
大人なら、まあいいかげんに選ぶところだ。
ところが、子どもたちは真剣だった。
他のクラスメートと同じバスを選んでしまった場合は、じゃんけんまでし、負けると涙まで浮かべる。
この「自分がバス」という具体的設定に、幼児指導の「胆」があった…。
1台のバスに自分を重ねさせた後、尋ねた。
「バスは、この場面でどんなことを考える?」
「どんな気持ち?」
最初はおずおずだったが、だんだん面白いことを言い出した。
「早く帰って、ガソリンをごくごく飲みたい」
「子どもたちを乗せて、びゅんびゅんスピード出して走りたい」
恥ずかしがりやも、笑い出した。
「こうこうこうして、何々をしたい」という、複雑な言い回しが出来る思考力も身につき始めたのにも、密やかに驚いた。
この年頃の幼児には、自己を投影できる具体的なものを提案すること。
ーこれが、大切だったのだ。
(1、2歳ではできない)自分がそこに描かれたバスのうちの1台だと仮定ができると、そのバスとして場面を見ることが可能になり、1バスとしての気持ちを想像できる。
その想像に合わせて初めて、文を「表現豊かに」読めたのである。
絵本のページはまだまだ続く。
同様にバスを選び、そのバスになった気持ちで読むことを数ページ続けたが、なぜか飽きない。
2、3回で飽きがくると思っていた予想は、いい意味で外れた。
何ページも続くのだが、それぞれで真剣に、どのバスを自分としようか考える子どもたち。
すぐに概念化してしまう大人と違い、彼らは「具体」の世界の住人なのだと、気づかされた。
これらから学んだことをまとめると、以下の通り。
いい表現が出ないとき
◎具体的に、自分を投影するものを決めさせる。その自分の「分身」に表現させる。
◎場面場面でそれを確認し、繰り返す。
幼児には「具体的」に。
これを胆に命じたい。