作家の高橋源一郎さんの「オピニオン」からの受け売りをひとつ。
ー「知性」とは、未知のものを受け入れることが可能である状態のことだ。
うむ。
ロマン・バルトの言葉も引用されていた
ー無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。
うむ。
リードアラウドを子どもたちとやっていて感じるのは、「未知との遭遇」だなということ。
未知というのは語弊がある。
忘却の感覚、か。
忘れてしまった子どものときの感覚や感性、この今や大人にとって「未知」と感じられるものとの出会いである。
この出会いを、
フォニックスだ、押韻だ、必修単語だ、なんだかんだの「知識」で、つまらないものにしてはいないか。
指導者として、バルトのいうところの無知でいてはいけない。
知識に飽和されてはいけない。
子どもは実に面白いことを発想する。
それを自由に発言させると、発見がある。
こんな子どもと、大人は「知性」を持って対峙したい。