以下、小林大輔さんのブログからの引用
絵本の読み聞かせなどで、いつも言いたかったことが、ここに!
★朗読会を見た結果
今、朗読会がブームと思われるほど各地で開催されています。
私は他人(ひと)の「朗読会」を人一倍見て歩きます。その日特別に仕事が入っていない限り、都心で開催している
朗読会はもちろん、かなり遠方まで足を運びます。その結果、正直に申します。
「このイベントが会場を設定して、少額といえども料金を取って、
わざわざ足を運ばせてまで見せるイベントだろうか・・・」と
思ってしまう朗読会がほとんどです。テレビやラジオの知名度や人気におんぶした、
なんとも甘ったるい朗読。司会者か主催者に紹介されて登場した朗読者が、
いきなり中央に立てたスタンド・マイクの前で、手にした
台本を開いて朗読に入る「ヤブから棒」や「愛想なし」の朗読。この人は何の訓練をした成果を見せようというのだろう、と
思える、ぜい弱な発声と台本をなぞるだけの技術スカスカの朗読。目の前に聴衆がいることを忘れてしまっているかのように、
自分が朗読することだけで精一杯な、余裕のない朗読者。あるいは逆に、自分だけ得意気に、自己満足、自己陶酔した
朗読者。この人は、この作品をなぜ取り上げたんだろう、と思える
およそ朗読に向かない作品を観客無視で得々とやっている人。あるいは原作の意図を少しも推測しようとしない朗読。
自分に与えられた時間が短いために、原作を無理やり縮めて
つめ込んだ朗読。
これは原作をズタズタに短縮して、原作者がお墓の中で
怒っている顔が浮かびます。この人のもう1つのミスは、朗読のスピードが速すぎるのです。
聞く人は、各場面をゆったりとイメージすることなどできません。それからよくあるケース。
ラジオ、テレビのメディアで朗読をやって定評を得ているからと、
その余勢をかってステージで朗読をやってみせている
「カン違い組」です。この人達の共通のミスは、マイクとミキシングに頼った
なんとも弱々しい、脆弱な声です。
確かに端正な朗読ですが、ステージで提供する芸としては
全く向きません。
その事に本人も周辺も気がついていません。「そのお上手な朗読は、あなたのメディアの中か、
CDで録音して聞かせてください」
と私は申し上げたいのです。
そうしたら、私は自宅でくつろいで足を投げだして聞くでしょう。
わざわざ出向いてナマで聞くまでのことはありません。それ以上に朗読会の大きなミスは、このイベントで何を「見せよう」
というのですか。と私はお尋ねしたいのです。観客を前にしたステージ上のパフォーマンスを「Show(ショー)」
と言うでしょう。
これはあくまで「見せるもの」中心のパフォーマンスです。現在行われている朗読会は、「聞かせるもの」はあっても、
お客様に「見せるもの」、ステージ上の「動き」というものが
ありません。
棒立ちで台本に目を伏せた人物を見てくれと言うのですか。朗読とは「Reading(リーディング)」と言うぐらいで、
「聞かせること」が中心。
「見物(みもの)」「動き」がないということは、
お客様を前に置いたステージで展開するイベントとしては
決定的な欠陥です。朗読会に関わる人達が、この欠点を知った上でそれでもステージで
やろうと言うなら、この欠陥をおぎなうものを、何か工夫して
用意していますか。
-「小林大輔のほのぼの朗読」より-
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