リードアラウド〜伝える喜びに満ちた躍動ある声を

久しぶりに川田順造さんのことを読んだ。

かつてその著書を愛読したこともあるが、少なくとも「リードアラウド」というものを考え始めたここ12年は、まったくご無沙汰していた。

今日読んだのはインタビュー記事だったが、この人類学者が言っている人間の言葉の意味が、今までになく、すっと身体に入った。
たとえば、西アフリカでの研究から学んだという、こんなことだ。

・無文字社会が、文字社会に達成していない段階(未発達)なのではなく、コミュニケーションが多様で豊かなので「文字を必要としなかった」。

・文字に頼り切った私たちが忘れているものを(西アフリカの文字のない文化を知ることで)思い起こさせられた。

・(アフリカの研究対象の文化圏に住んでいた頃で)思い出すのは、農閑期の夜、熾(お)き火を囲み、子供たちがお話を皆に聞かせるときの、素朴な喜びの表情。

・(子どもたちの)文字教育で画一化されていない「アナーキーな声の輝き」 。

・(子どもたちの)声の美しさ。伝える喜びに満ちた躍動があった。

そうか!
そうだったんだ。
わたしがリードアラウドで求めてきたのは、「アナーキーな声の輝き」。
自己満足、自己陶酔ではない、伝えるという喜びに満ちた躍動!

まだ、英語という文字を持たない子どもたちなら、中学校あたりの英語教育で画一化された「普通の読み方」になってはない、自分の心と直結した言葉が声に出せる。

人間が元々持っている「アナーキーな声の輝き」を、リードアラウド指導者として、上手に掘り出す。

子どもだと、覆っているものが薄かったり、あるいはまったくないことが多い。
だから、逆に、輝きに覆いをしてしまわぬように。

大人を指導する場合は、覆っているものがあることをまず意識してもらい、瞬間的でも、その人の「アナーキーな声の輝き」を掘り出す。
そして、どんどんそれを表面に出す作業を手伝う。
自己満足、自己陶酔とは、おさらばしていただく。

英語だから、どうやら覆っているものが、薄い。
子どもはゼロだし、大人も日本語ほど年季が入っていないことが多い。
ついでに、ネイティブの子どもが英語を学ぶ過程にもちょっと似た感じで、英語学習できる。
(あ、英語学習が主で、「アナーキー」うんぬんは、ついで、というか副産物か…。and vice versa)