『It’s Christmas, David!』を2年生と〜リードアラウドして気付くこと

私立小学校2年生9名と、今の季節にぴったりな絵本
It’s Christmas, David!
をリードアラウドした。

リードアラウドが初めての子がふたりいる以外は、1年生時に経験した子どもたちだ。

リードアラウドでは4つの約束を挙げていて、そのひとつに「感じを出して読む」がある。
リードアラウドらしさの要素だが、これを使ってタイトルを「元気に」「にぎやかに」「うれしそうに」など、気分を違えて読み合ってウォーミングアップ完了。

さて、本文である。
Davidは、クリスマス前にかずかずのいたずらをして大人にいさめられる。
その台詞が本文になっている。

プレゼントを覗いているDavidには、
No peeking!

絵を見るだけで「のぞいちゃだめ!」と、意味は想像がつく。
それに加えて、指導者がその感じで読めば、もうほぼ100%、意味は子どもに伝わる。

そうやって、ページごとに想像させ、意味を確認し、その後にその意味を込めて、実際にひとりひとりに読ませながら進んで行った。

すると中盤あたりで、衝撃的(?)場面が!
Davidが裸ん坊で、雪の積もった戸外に飛び出している。

Santa’s watching!
本文は叫ぶ。

さあ、何て言っているのだろう?
ここでも絵とわたしの読みで、子どもたちに想像させる。

「Santa」は、聴き取れるし、読める。
そこでこんな想像が。

「そんなことしているとサンタが、プレゼントをくれませんよ」
「サンタに叱られますよ」
「サンタが来ませんよ」
「サンタのプレゼントは石炭になりますよ」などなど。

驚いた。
素晴らしい発想力。
頭の柔らかさ!

わたしと同様に、watching=「見ていますよ」、という逐語訳的な言葉しか思い浮かばないひとがいたら、頭が固くなっていると思ったほうがいいかも知れない。

watchingしている結果として、サンタが来なかったり、叱ったり、その意思表示としてプレゼントをくれなかったり、石炭をプレゼントする。
どれをサンタは選択するかわからないが、警告としては、ありだ。

以前、小説を翻訳していたときに、自分の頭の固さを思い知った。
受験勉強的というか、辞書の表面的理解というか、1語に1つの意味で固定化。
そこから出られない自分の頭を嘆いた。

文脈の上で意味する言葉、生きた言葉で表現ができないのだ。

ところが、子どもはどうだ。
素晴らしいのひとこと。

指導者は、この素晴らしい子どもの発想を、より正確なものにほんの少々整えてあげる。
たとえば「watchingそのものの意味は〜」と補足する。
それだけで、いいのではないだろうか。

しかし、こんな、ふくらみのある(自由発想の余地のある)英語理解を進められるのも、すぐれた絵本ならでは。

そして、解釈をにじませた読み方、reading fluencyを促すリードアラウドならでは、と思う。