「これだ!」朗読が見違えるほどに!〜11月指導者向けワークショップ報告その2

英語絵本の朗読が、見違えるほど上手くなる秘訣、「これだ!」は何か。
「これ」について考えた。
いくつかある。

◎ひとつ目は、ある練習の有効性。
本年度ワークショップで、本格的に取り組んだ、
Vocal variables exercises、これだ。

variablesは4つある。
1. volume
2. rate
3. pitch
4. quality

これらを毎回1つテーマにして、練習をしてきた。
1~3の練習の応用でもあるのが4で、キャラクター作りやemotionsの違いを言葉に乗せる練習があった。

順不同でこれらをやってきて、8回目の今回は2度目のpitch、上級な練習だった。

声を大きく3つ、dark、medium、low に分けての「コーラス朗読」。
3種の声のpitchで生まれる、身体に感じる深い味わいの経験である。

出来は置いといて、体験が大切だった。
音域の広い声が共鳴すると身体が喜ぶ感じ。
この日の参加者は感じたようだった。

音楽では知っていても、英語という「お勉強」では経験していないことが多い。
でも、原始的な部分で身体は知っている。
そのひとりひとりが持つ原始的な部分を掘り起こす作業を、こうした練習でしているようなものだ。

◎ふたつ目は、頭での解釈。
この日も、課題書『Fortunately』のAnalysisをした。
朗読するのに、声の主は誰か考えてもいない、なんてことはあり得ない。
声の主を考え、そのキャラクターを作る。
テーマ、ムード、構成などなどで解釈を深める。

◎みっつ目は、頭と心をくっつける作業。
これは、わたしが経験的に学んだ秘策。
英語が母語でない場合には、絶対に必要な過程である。

勉強して学んだ言葉が頭にある。
それをそのまま口にするだけでは、機械的な声、または機械的にとってつけた感情をもった声になる。
いわゆる棒読みだったり、「クサイ」読みだ。

頭にある言葉を心に持ってきて、そこから発する作業をする。

(この過程を、丁寧に本格的に学ぶには「シアターゲーム」が有効)

大人なら手っ取り早いのが、普段遣いのよそいきでない母語で言い表してみること。

例えば、fortunately。
頭では「=幸運にも」と辞書の意味が浮かんでいるかもしれない。
でもそこは、素の自分にもどって、
「やった!」とか「ほっ!」「ああよかった!」
など、自分の言葉に置き換えて口にするのだ。

「ああよかった!」、そう思いながらそう言ってみる。
一度それを口にするだけで、fortununatelyという外国語が不思議と、心に降りてくる。

それまで「幸運にも」としゃちこばっていたのが、「ああよかった!」と人間らしい自然な言葉になるのである。

◎4つ目は、即興力がついていない場合に、機械的目安も有効。
これは、再発見だった。
本格的な演技の先生は勧めないことで、本当はシアターゲームなどで即興力を磨くべきなのだが、英語の先生方や普通の大人の現実的な方法として、機械的な目安が効果的。

たとえば、『Fortunately』を学んだ今回、まずFortunatelyとUnfortunatelyで声のpitchをlightとdarkに分ける。
そのあと、それぞれをさらに3分割。

fortunately、unfortunatelyの中でも、light medium lowの3段階にわけるのだ。
最高によかった、そこそこ、まあね、この3種のfortunatelyと、
絶体絶命の不運、残念なこと、あれれ、このunfortunately。

1〜3とそれぞれ番号をふって、本に付箋紙でつけておくといい。

単純に「明暗」の二通りでよみわけるのと、6通りではまったく朗読の質が違ってくる。
そして、その読み分けが数字で示されていると、はっきりしてやりやすい。

以上が、この8回目にして顕著に現れた朗読の上達のわけ。

今回の参加者の朗読は、こうして、ほとんどシームレスで、山あり谷あり平野ありの起伏に富んだ、楽しめるものに仕上がった。

朗読しているときの表情も、それは自然で気持ちのよいもので、聞いている方も笑顔がこぼれる。

指導を受ける前に一読したときの表情とは大違い。
そのときは、絵本一冊を持て余していて、それが表情からも読み取れた。

だが、レッスン後のこの最後の朗読はどうだ。
不思議と短く感じ、さーっといい話を聞いた感じ。

この出来映えに到達した、当事者たち自身の声も聞きたいところだ。

Hさん、CCさん、感想をよかったら寄せて下さい!
お休みしたみなさん。
次はみなさんですよ〜!

Fortunately

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