幼稚園・小学校からの「たより」を読んで

公立小学校の評議員をしているので、その小学校と付属の幼稚園の「たより」が毎月届く。

読みながら、行事の多さから先生方の多忙さを想像し嘆息し、そこでの尽力を思って頭が下がる。

その「たより」だが、冒頭は学校の「管理職」によるもので、季節感を盛り込みよくまとまっている。
まるで、「手紙の書き方」の手本のようにそつがない。

それを読む限り、実にすばらしい園と学校だ。

先日の「幼稚園たより」は、外国の放送局の取材を受けた話。
この幼稚園の子たちは、「挨拶も出来るし、動植物の世話も出来るし、自主性を育まれ、文字も自然に親しむような環境にいる」。
放送されたフィルムを見て、ここの園の幼児教育の素晴らしさなどを「あらためて感じさせられた」らしい。

そこまですばらしい子が、この普通の公立の幼稚園から育ち、その教育は「小学校へなめらかな接続を意識して」いるので、小学校でもすばらしく、そこでもすばらしい子が育っている、らしい。

この園や小学校は公立なので、多分、同様な方針で教育している学校は他にもたくさんあるだろう。

「すばらしい教育」がほんとうに行き渡っている…のだろうか。

そうならば、たびたび見かける世の中の、挨拶もできない、生き物に優しくもない、それで自主的でもない大人は、どこから出てきたのか。
それとも、どこかでこの「すばらしい教育」の効果が、消えてしまうのか。

ふと、あるっ経験を思い出す。

評議員として、学校へ意見をいう会合があった。
そのわたしの番の前に、ある人にそっと耳打ちされた。
「いいことだけ、言っていただけますか」。

これは、たまたま?
まさか、こういう風土が、教育現場に…ないですよね。

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