「演じる感覚」磨きとリードアラウド:子ども編

「絵本で英語を学ぶ」とうたうわがスクールに、秋から6年生と2年生の兄弟が仲間に加わった。

このふたり、天性のものなのだろうが、表現する感覚、または演じる感覚に秀でた兄弟なのだ。
年配にしか分からないたとえだが、
田村(高弘、正和、亮)兄弟か、
山本(學、圭、亘)兄弟のよう。

「演じる感覚」というもの、とても不思議だ。
どこで生まれて、どう育つのか。
どこでなくすのか。
このふたりには、それがあり、順調にそれがさらに育っている。

ふたりが加わってから、素晴らしいことがスクールに起こった。
それまで恥ずかしがっていた他の生徒たちも、めきめき読むのが上手になったのだ。
「演じる感覚」が隠れている理由は、子どもの場合は、自意識が発達する年頃だったり、他人との距離の取り方に戸惑っていたり、英語に萎縮していたり。
どれも、厚い「壁」ではなく、ある日、けろっとその「壁」が取れることも多い。
それが、どうやらクラス全体に起こったらしい。

わたしが奨める学ぶ方法、リードアラウドは、英語を絵本で学んでいく。
文脈がある絵本というものを、「演じる感覚」で読んでいく。
ただ文字を読み下せる(音読できる)だけでなく、文の解釈がされていないと、それは本当に「読んだ」ということにならない。

世間一般では、いわゆる「スラスラ読む」と、読めたことになる。
あるとき、これを「普通に英語を読む」と表現した小学生もいた。
彼にそのように読んでもらったら、いわゆる棒読みだった。
この棒読み状態の英語の音読が「普通」、というのが恐ろしい。

文脈や文意に沿って、演じるような感覚で読んだ文・言い回し・単語は、身体的な記憶が残る。
例えば、先日使った絵本

What a relief!
という句があった。
嫌いなsplit pea soupを、もう食べなくてよいと分かったときの、主人公(カバ)の台詞だ。

「ああ、よかった!」
「ほっとした」
こんな気持ちが、ぴったりくる。
それを、英語の句に乗せて言う指導をする。

「演じる」という言葉ではなく、「その気持ちになる」と生徒たちに言うこともある。
何度か「ほっ」とする状況を、本書の物語中で確認。
そして実際に「ほっ」とする気持ちを再現する。
そして練習すると、安堵の気持ちがWhat a reliefという英語文字とシンクロする。

こうなってくれば、たとえ「a」がぬけようが、「relieve」が「relie」で切れようが、相手に伝わるものだ。

子どもにこうした感覚を教えていて嬉しいのは、ほとんどの子どもが、じきに上手になること。

まずは、自分がうまくできたときに的確に評価されたり、「うまい」と評価を受けた仲間の読み方を聞くことで、上手というのがどういうことか客観的にわかってくる。
そうなると、子どもはさらに上手になる。

しかし、それもこれも、子どもはほとんどの場合、心が解放されているからかも知れない。
さて、大人は?

つづく

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