機会に恵まれてきたなと、人生後半になってつくづく思う。
子どもたちと定期的に会う機会の他、平均年齢85歳(?)の3人の「賢女」とここ3年間、月に1回、英語絵本を介して会う機会がある。
先月まで
Wildfrid Gordon McDonald Partridge を、一緒に読んだ。
昨日、約束の時間に彼女たちの住む瀟洒な高齢者施設を尋ねて行くと、3人がこの本を広げながら、歓談中。
もうすっかり次の本のつもりでいた自分が、なんだか、がさつに思えた。
もっていた新しい絵本をちょっとひっこめた。
ひとりが、先の本をめくりながらしみじみ言った。
「本当に、この本はいい本でした。老境に入ったものの心に訴えます」
そして、もうひとかたも、
「絵もきれいで」
3人目の婦人も
「いい話!」
わたしは作者のMem Foxではないけれど、こんなにずっと思ってもらえる本を紹介出来てよかった……と感慨を覚えた。
おまけに、「本書のintroduction部分の一節と、conclusionの一節が同じで終わるが、どう日本語で言ったらいいのかしら」
と、鋭い疑問をおっしゃる。
翻訳版を出した聖路加病院の日野原先生の訳を、みてみなければ。
わたしの宿題が出来た。
彼女たちと、今月から始めたのは古典である Edward Learの3つの話を、Fred Marcellinoが絵を付け再話した、Pelican Chorus。
場所柄、あまり大きな声を出すことがないので、3人には特に、朗読の訓練のときの深い呼吸を一緒にしてから読む。
始めは、絵をしっかり見てもらうのは、どこでもだれとするときも、わたしの方法。
「あら」
「ほんとう」
「気づかなかったわ」
感心する声が、ここでも聞こえてくる。
絵を見てもらう間に、その絵の解説のように、本文を読む。
「今、聞いたことから、何がわかりましたか」
ちゃんと、他の機会と同じく、3人にも発問して知的刺激をすることを忘れない。
こうして意味を大づかみにした後に、一緒に読む。
それから、ひとりひとりに。
それを聞いていて、ほとんど英語的な違和感を感じない。
というのも、彼女たちが自然に意味のまとまりで切って読むからだ。
はっと、先月このことに気づいたのだ。
もう3年やっているため癖がついたのか、または「3人賢女」であるせいか。
どちらにせよ、感心してしまう。
そんな3人賢女が、昨日はこの新課題絵本を手に、またまたため息。
「きれいな、いい絵ねえ」
「子どものものと思えない」
「かわいらしい絵」
「絵本が、こんなに上質なものだとは知らなかった」
と、賞賛の声が挙がる。
英語絵本たちに代わって、
「絵本を好きになって下さって、ありがとう」!!!