「ヨイトマケの唄」とリードアラウド

久しぶりに紅白歌合戦を見た。
目的は、美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』。

「『立体的に絵本を読む』ことを目指すリードアラウドの手本になる」と思った。

どこが、かと言えば……

○声
声量:77歳になっても、努力していれば、これだけ出せるという励みになる(逆に驚きは、同じステージに登場した「1年限りで復活」グループの声の衰え。40歳そこらで、こんなに力がなくなることもある)

張り・響き:深い、強い、頭の頂上あたりから出ているような「奥」の声(独特の
ビブラートには好みはあるだろうが)

バリエーション:「かあちゃん」「僕(大人になった現在)」「僕(子ども時代)」「学校のいじめっ子」と、4人に変化させている。
誰が誰だかが明確で、それぞれ自然で、まるで声の主が飛び出してくるようだ。

○歌(語り)
語り口:各登場人物のものが、きちんと区別され、「人となり」が目に浮かぶ

感情表現:(好き嫌いや、個性の違いはあるが)表情と動作による豊かな表現で、分かりやすい。
口先だけでなく、目も衣装や動作すべて使った表現でドラマチック。
いじめられた子の役から、「姉さん被り」で力仕事をする「かあちゃん」に移るところなど、まことに見事。

見事な例、もうひとつ。
クライマックスに近い「何度かグレかけたけど」のところで、下を向き、まるで肉体労働で出来たマメを見るように手の平を見る。
しばらくして、そこでぎゅっと拳を握る。
「ああ、かあちゃんを思い出して頑張ったんだな」と、聴衆はわかるのだ。

緩急:全部で6分の中に、ひとつのドラマを凝縮させた天才的緩急。

強弱:弱虫だった子ども時代の主人公と、強い「かあちゃん」の対比、そして強く育った今の「僕」に、説得力がある

間合い:演出の才に感服。
子どもから大人になる主人公の場面で、「あれから何年たっただろう」と歌うまで間をとるのだが、美輪は自分が回転舞台のように360度回転する。
聴衆の視線が集まっているところで背を向けるというのは、大変なエネルギーがいるものだ。
そこを、ゆっくりゆっくり回る、美輪のエネルギーは凄い。

おまけに、ただ回転するのではない。
その間に、子どもっぽい姿勢だったのが、両腕を腰にあて肩を張った「大の男」スタイルに変身し、きっぱり「大人」の声で歌を再開する。
芸が円熟している……。

○姿
体幹:しっかり通っている。ぶれない。

衣装:黒(イッセイ・ミヤケの服の効果抜群)で、白い顔とマイクに1本のライトで浮き立たせる演出。
ライトがない場合は、白い襟元にして、同様な効果を考えるべきなど学びどころ満載。
「メイク」の効果もある。
普段は化粧をしない人も、「舞台映え」の演出のひとつとして考えるといいかも。

○臨機応変性(空気の読み方)
その場に合わせたちょっとした変化の付け方も、見習える。
クライマックスの「どんなきれいな歌よりも」「どんなきれいな声よりも」のところで、紅白歌合戦では舞台のそれぞれ左と右に向って敬意を示すように手を差し伸べた(他の舞台では、していない)。
観衆と、こういうことで歌の最中にもコミュニケートするわけだ。

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