「心の師」が、ひとりまたひとりと……

英語絵本の「リードアラウド」。
指導者の指導などと大それたことをし始めた者として、自分の朗読と指導法を「芸」の域までもっていけたらなんて、これまた大それたことを思うこともある。

「芸」にある完成型をもっていて、ぼんやりとだが、わたしの「心の師」のひとりかなと思う方々が、最近立て続けに亡くなった。

中村勘三郎さんと、小沢昭一さん。
亡くなったから、そうだと気付いたのかも知れないが。

歌舞伎をよく見ていた時期があり、心ときめくのは「孝夫さま」(片岡仁左衛門)だったり、吉右衛門さんだったりした。
だが、いつも感心していたのが、もと勘九郎、後の勘三郎さんだ。
登場すると、あっと言う間に、愉快になるのだ。
ちょっとはみだした、濃い目の演技。
多分、若いうちは、その「はみ出し」芸に眉をひそめる人もいただろう。
くどいというか、「濃い」感じ。
自分では、自分の血を「ラテン系」と言っていたりしたらしい。

はみだしが「スベった」ときは、きっと穴に入りたいと思うこともあっただろう。
でも、次第に「はみだし」が、芸に昇華されて、晩年には名人の域に達していた……。
享年57歳は、いくら早熟の天才でも惜しい。

そして、小沢昭一さん。
舞台は、1度くらいしか見た事はないが、テレビと映画とラジオで、「変」な印象を強く残すひととして、気になっていた。
フランキー堺さんと共演した異色の映画『幕末太陽伝』でも、「貸本屋」役で不思議な存在感を示していた。
背中が映っているだけでも、笑えるのだ。

追悼記事にこうあった。
「しゃべり方、雰囲気、人柄を含めて『声』という考えの持ち主だった。」と。
こんな考えの持ち主だからこそ、わたしも何か惹かれていたのかも知れない。

ご冥福を祈る。

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