天声人語を読んだ。
人を笑わせ、考えさせる科学研究などに贈られるIg Nobel Prizeの音響学賞を、SpeechJammerを開発した日本人が受賞した。
その話題から、「退屈なスピーチ」や「退屈な講演」などについてだ。
日々行っている授業などが、受講者や生徒に退屈ではないか、いつも気がかりなわたしは、ドキリとした。
まだ、SpeechJammer(「スピーチ、邪魔」の意味もある?)は実用化されていないから、大人は今のところ「退屈なスピーチ」や「退屈な講演」、そして「退屈な授業」も聞いている。
でも実のところ、天声人語が引用したS.モームの短編の一節のように、話し手は、「平凡きわまることを、釘を壁にハンマーで打ち込むように、他人の耳の中へと押し込ん」でいる状態で、聞き手の忍耐力にまかせているのかもしれない。
大人は我慢もできるが、子どもは?
いくら「学習で、ためになるから」といっても、じっと聞くのは難しいだろう。
「生徒は聞くべきだ」と忍耐を教えるのも道理だ。
しかし、
だらだら話のツボがない
単に長い
先生ばかり話す「一方通行」
といった授業では、それこそSpeechJammerを使いたくなるだろう。
「授業妨害」的なことを生徒がするのは、こんな時かも知れない。
人力SpeechJammerを発動しているのだ、とも考えられる。
SpeechJammerが実用化(?)される前に、ぜひ話し手として、話術を磨いておきたいものだ。