音楽と英語絵本、そしてリードアラウド

去る5月、「音楽展望」コラムなどで長きに渡って活躍した音楽評論家、吉田秀和さんが亡くなった。

「子どもに英語を教える」ことが仕事だと、子どもの英語教育関連の一般的な本や情報、仲間の中にいて、「井の中の蛙」になりがちかもしれない。
音楽、そして芸術一般についても、時には考えたい。

吉田秀和さんの残した言葉には、英語絵本朗読やリードアラウド指導するものに、どこが「頂き」かを示唆するものがある。

かのカラヤンは楽譜を、「人類にとって、最も不完全な情報伝達手段」と言ったそうだ。
そして吉田さんは、そのカラヤンの指揮を
「いわばアウトバーンを快速で走る自動車の中に坐ったまま、ドイツの森の杉や檜や楡といった木立ちと、その傍らの名もないような野草や灌木まで見逃さない、すぐれたカメラのような目を感じさす。……ごつごつした輪郭を少しももっていないにもかかわらず、一つ一つがはっきりわかる」と評した。

この言葉に、震撼した。

英語を母語としない子どもに、英語絵本は、情報伝達手段として、最もではないが、かなり不完全なものだ。
そこで、リードアラウド指導者の力量を、カラヤンの何十分の一でも示せたら……。
そしてまた、願わくは吉田さんが評論で心がけたように、評価が確立された古典に
「新しい光を当て、作品からいままで気付かなかった価値を引き出す」こともできたらいい。

絵本の「古典」は、音楽に比べてそう古典ではなく、「評価」といっても日本の、それも「子ども英語指導者村」とでも言えそうな極小コミュニティでのもの。
カラヤンや吉田秀和さんの言葉を当てはめるのも、おこがましいが、英語絵本指導を、より高い志をもって考え磨いていけたらな、と思う。