若者は「我慢が足りない」か

最新情報がネットに溢れる今日この頃、新聞には「news」は期待せず、「賞味期限」の長い記事を読む。

今日、印象に残ったのは……
『仕事力』という求人欄の囲み記事、先週もこのブログで取り上げた藤原和博さんのインタビューの続き。

-親や大人がよく「今の若い者は我慢が足りない」と言うが、「みんなと一緒でいるための我慢」は何も生み出さないことに、大人はもう気づくべき-

と藤原さんは言う。
継続的とは言え、たった1つの公立小学校とたった1つの私立小学校で教えてきてだけの印象だが、「みんなと一緒でいるための我慢」をより強いられているように見えるのは公立小学校かな、と思う。

リードアラウドと称して、英語での表現を指導することが多いのだが、何語でも表現は個人的なものだ。
それを表すのを躊躇する空気を、公立小学校で感じることがある。

一方の、「自由な気風」をうたう私立小学校は、ほぼ逆。
他人とは違う自分の表現を、見てもらおうと発表したがる子が多い。
これは、どこかで見た風景……と思ったら、それはインターナショナル・スクールの授業風景にも似ている。

思えば、わたしも「自由な気風」で育ったのだが、成人してみたら世間は違い、強いられたと感じた「みんなと一緒でいるための我慢」が出来ずに、70年代日本を飛び出した。

「みんな」がもうわたしのことを、「一緒」にいようと誘ってくれなくなった頃に帰国して、これまでやってきたことを振り返る。
リードアラウドを含めて大雑把に言えば、「みなさん、みんなと一緒でいなくてもいいんじゃない?」というメッセージを発することだったのかも知れない。

こんな人間の「お膝元」にいた若者が、最近「みんなと一緒でいるための我慢は何も生み出さない」と、藤原さんと驚くほどそっくりの発言をして、「みんなと一緒」が風土らしい会社を1年でやめてしまった……。
わたしの教育観への挑戦かも知れない。

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